中国仏教史のテスト  設問と解答編

そろそろ行ってきます。

  • 設問:

 南北朝から、隋・唐にかけての時期には、地論宗摂論宗天台宗三論宗・三階教・華厳宗・浄土宗・法相宗禅宗密教などの中国の諸宗が誕生した。
 それらの諸宗は、それぞれに特徴的な思想と実践の体系を持っているが、その間には共通する点を認めることができる。そのため、それが原因となって、これら諸宗は歴史的に様々な関係を結ぶことになった。
 その上で、この中から二つを取り上げ、それらの思想的特色と共通点・相違点を明らかにした上で、両者の歴史的な関係について論じなさい。

  • 回答

 ここでは、三階教と浄土宗を取り上げる。
 三階教の思想は、人々の機根(仏道修行の素質・能力)は、「時」・「処」・「人」によって変わる。これを「三階」に分類する。第一階は仏滅後500年、一乗の衆生、第二階は1500年まで、三乗の衆生、第三階を1500年以降、空見有見の衆生と定める。それぞれの段階には、その段階に適した法があり、仏性に対する不信心(空見)と増上慢(有見)の現在には三階教が適している。
 三階教思想の実践の中心に据えられたのは普敬と認悪である。一切の聖賢凡夫の差異を認めず、他者を如来蔵・仏性・当来仏(将来の仏)・仏想仏(目前の衆生を仏と見る)として敬い、自らに対してはこれを見ることを許さない(普敬)。自らの中にある空見や有見を自己一身に徹底させていく(認悪)。

 一方浄土教の思想は、仏滅後1500年を経た現在、衆生は仏の教えを正しく理解できていないとした。悟りを得るためには、聖道門(難行道)と浄土門(易行道)の二つがあるが、聖道門は仏滅から時が経ち過ぎて、今の者には理解できない。末法の世には、浄土門だけが悟る道であると説き、念仏を唱えて阿弥陀仏の力に頼ることを実践の中心に据えた。

 三階教と浄土宗は、現在の人々に適した仏法が存在する、と言う点では共通していた。しかし三階教は、今の人々にはその適した仏教を判別する能力がないので、教法に価値評価を加えずに全て実践すること(普法)が重要であるとしたのに対し、浄土宗は、適した教法は既に仏によって明らかにされており、重要なのは教法の実践能力であり、実践能力が足りない現在の衆生は悟りやすい道=念仏を唱える浄土宗を信仰するべきであると説いて激しく対立した。
 この対立は極めて激しく、三階教は浄土宗を「第二階以前の人々しか救われない」「教法に優劣をつける」別法である、と批判した。浄土宗は、三階教思想の基本的枠組みを示す用語は経典には見られず、三階と言う概念自体が疑わしい。念仏による救済は仏によって約束されており、判別能力の有無は問題ではないと批判した。
 三階教は、仏法の総合的な実践を掲げながら、その構成要素になりうる個々の教法を集中的に実践する者に対しては地獄に落ちるとして攻撃し、また浄土宗は仏説こそが最高の権威であるのに、三階教が、開祖・信行は一乗の菩薩であり、仏でさえも説き得なかった第三階の仏法を広説したと主張するのは、仏を乗り越えようとしたもので仏意に反していると言う拒否反応があり、これらが対立の原因になったと考えられる。