おはぎ

餡子のおはぎうめー。こんなこと書いてると、また某所からツッコミが飛びそうだけど。
あいも変わらず、のほほんと春を過ごしております。
というわけで、お彼岸とやらでございました。祝日だけど、飲食業に休みなし。バイトに出勤でしたわ。60名ほど食べ放題の予約が入ってて、それの追加オーダーにてんてこ舞いを舞う始末。
お彼岸とおはぎに関して、wikipediaにはこうある。

彼岸(ひがん)とは雑節の一つで、春分秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事(彼岸会)のこと。

元々は煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。


  • 由来

彼岸の仏事は浄土思想に由来する。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられていた(西方浄土ともいう)。春分秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。元々は中国から伝わったもので、心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)だが、日本に伝来後いつの間にか法要を営み祖先を祀る行事へと変化した。

806年(大同1年)、日本で初めて彼岸会が行われた。
このとき崇道天皇のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と日本後紀に記述されている。

  • 供物

日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、餅を分厚く餡で包んだ10cm弱の餅菓子として作られるのが一般的である。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる。

なんというか、日本において宗教は、むしろ習慣というか、日常生活の中に溶け込んだもので、各宗教の行事は大きな意味での「祭祀」として、「なんだかよく分かってないけど、ありがたい」という、ざっくばらんな行われ方をされているように感じる。浄土思想なんて、今じゃ意識している人の方が少ないんじゃないか。
デパ地下でおはぎを売っているのを見て、「そういやそろそろそんな季節か」と思い当たり、買って食べる、と。そんなものだろうし、それでいいと思う。
都市、地方、若、老で差異はあるだろうけれども。

ぼたもち(牡丹餅)とは、うるち米ともち米を混ぜて炊き、米粒が残る程度について1〜2口大程度の俵状にまるめ、餡をまぶした食べ物である。小豆餡のほか、黄粉,ゴマ,ずんだ等も使われる。

ぼたもちの名の由来には、牡丹の花が咲く季節、すなわち春の彼岸に神仏や先祖への供物とされたこととする説や、小豆餡の様子を牡丹の花に見立てたという説がある。甘味を口にする機会の少ない時代には御馳走であり、来客のもてなしや田植えの後の寄り合い、また法要の際などに供された。



  • おはぎとの関係

おなじ食べ物を、秋の彼岸に供える場合は、はぎのもち(萩の餅)、またはおはぎ(御萩)と呼ぶことが広く行われる。しかし小売店等では春に「おはぎ」を、あるいは秋に「ぼたもち」を販売していることも珍しくはなく、ぼたもちとおはぎの区別は次第に薄れている。 また、地方によって

小豆餡をまぶしたものをぼたもち、黄粉を用いたものをおはぎ
こし餡を使ったものをぼたもち、粒餡や煮た小豆そのままを使ったものをおはぎ
餡ではなく中の米の状態によって区別し、完全に餅の状態までついたもの(皆殺し)をぼたもち、ついた米の粒が残っているもの(半殺し)をおはぎ
季節によって呼び分け、春夏はぼたもち、秋冬はおはぎ
とするなど、さまざまの場合がある。

また女房言葉でぼたもちを「おはぎ」(他には「おべたべた」)と呼んだとする説明もある。

うちの場合は、春だろうが秋だろうがお彼岸に作るものはすべからく「おはぎ」。
味は餡子・きな粉・胡麻の3種類。
季節を感じさせる、風物詩の1つである。