深夜放送ではやはり伊集院さんが神という結論。

ここまで断言しちゃうと、いろいろと角が立つ。
ような気がするので、「自分に合うと思う」くらいにトーンダウンさせておこうか。
ラジオの深夜放送といえば、長寿番組「オールナイトニッポン」を初めてとして、フレッシュな芸人や芸能人が、普段露出する機会の多いテレビなんかではなかなかいえないことを喋ったり、思い切り頭の悪い企画、世の女性がドン引きするような下ネタ企画など、技術と話術とネタの限りを尽くして、聴取者を楽しませる。
これがまた、世の中の、鬱々としたフラストレーションを溜め込む(主に)内向傾向のある男子学生、一部その傾向を社会人にまで引きずってしまった、大きいお友達の皆さんの、心のオアシス、闇の中の癒しとして存在しているのだ。
自分も、中学3年生当時から大学を卒業するまで、毎週月曜日TBSラジオで放送されていた(現在でもされている)伊集院光の番組を聞いていた。
TBSラジオを聴いていたのは、当時(今もか)自宅の電波の入りが、文化放送ニッポン放送では良くなかった、「宮川賢の誰なんだお前は」を聞いていた流れで、などの理由があり、月〜金と週五回あるTBSラジオの深夜放送枠で、なぜ伊集院さんの番組だけを聞いていたかというと…理由は後付だが、一つは毎日リアルタイムで聞いていると翌日学校でつらかったこと、もう一つは、録音して聞く場合、記録媒体の金額が馬鹿にならなかったこと(バイトしてなかったし。記録媒体は、収入の増加と技術の進歩にしたがって120分テープ→MDと変化)、そして一番の理由として、伊集院さんの提供する笑いが一番自分に合っていた、というのが大きい。



一時期id:T-260から、彼の良く聞いている深夜放送を何度かお勧めされたことがある。いつまでたっても一向に聞こうとしないので、最近はあまり勧めてこないが。
で、これに絡めて、なぜ伊集院さんの深夜放送しか聞かないのか、を自分なりに考えてみると、「一人でやっているから」というのがその半分を占めているように思う。もちろん、表裏一体のもう半分の理由として、「二時間通して面白いことを喋り続けることがてぎる話術、構成力、企画力」があることが前提なのだけれども。
現在TBSラジオのメイン深夜放送枠「JUNK」のレギュラーメンバーは、伊集院光爆笑問題雨上がり決死隊アンタッチャブル加藤浩次である。
この5組、全員が芸人で、テレビへの露出も多い。爆笑問題雨上がり決死隊アンタッチャブルなどは、別に自分が認めなくても、そのお笑いに関する技術、能力、センスは世の中が認めるところだ。


あくまでテレビのバラエティ番組や、漫才、コントなどの舞台においては。


ここに、ラジオというメディアの特殊性があると思う。ビジュアル、視覚の情報がない、純粋に話術が試される場で、伊集院以外の芸人達の話芸は、「コンビであること」を大前提に行われている。
つまり二人の会話、掛け合いによって、笑いを提供するという、テレビと同様のアプローチが展開されている。
この場合、パーソナリティの会話の対象はまず「目の前の相方」であって、ダイレクトに聴取者には向けられない。これが微妙なところで、それを面白いという人ももちろんいる。自分も面白いと思うときはある。
伊集院の番組も、純粋には彼一人がスタジオに篭って行っているわけではなく、構成・渡辺くんが適宜相手をしたり、ツッコミを入れたりしている空気がある。だが、渡辺くんは原則発言はせず、ただ伊集院の話を聞いて笑うだけである。伊集院の話術、「このネタは面白い、受けている、だからもっと引き出して喋りたい」というのを助ける「笑い役」に徹している。
計算され、作り上げられた漫才やコントにおいて、ツッコミは必要な形であるし、大いに笑いを生み出す。しかしラジオにおいて、その役割は「面白い」の足を往々にして引っ張る存在でもある。
つまり一つの空間に、はっきり認識できる二つのパーソナリティが存在した場合、どちらかが「面白い」と思ったり、そう思ってした発言に対して、片方が乗り切れなかったり、あるいは思惑の読み違えが発生した結果、一度離陸しかけた「笑い」がダウンバーストしてハドソン川に不時着するという事態が多いのだ。*1
あるいは、二つのパーソナリティが相乗した結果作り出された空気、場の雰囲気があまりに「内輪の感覚」がして、それに逆に醒めてしまうということもある。
そういった事態は、伊集院の番組でもないわけではない。顕著なのが、若手お笑いがゲストとして登場する回で、これはほぼ例外なく面白くない。あのアンタッチャブルが出た回でさえ、面白くなかった。
これは、単純に若手の力が足りていないこともあるが、多くの場合「伊集院の笑いの本質*2」を掴んでいないが故に、伊集院の振りにうまく乗れななかったり、「こう持っていきたい」という伊集院の思惑を、全然別の方向だと読み違えてしまっているからだ。
というわけで、自分はラジオにおいて、パーソナリティの並立・鼎立は、少なくとも「笑い」という面においては、大きな障害になると考えている。「面白さの総量」において、「一人」と「二人」では大きな開きがある。
そしてそれが故に、他のお笑い芸人の手がけるラジオ放送を聞く気が起きない。



シンプルに、伊集院の話術が巧みだ。だから聞きたい。というのももちろんある。
ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞の肩書きは伊達じゃない。
伊集院の話術を支えているのは、芸歴として短いとはいえ、落語出身であるということも大きいのじゃないか。
で、そこに、落語を少しは聴いたことのある自分の感覚がなんとなくあっている、ということなのだろう。
目の付け所、ネタの好み、性格などに近しいものを感じているから、というのもある。




ただ大学を卒業してから、深夜放送といわずラジオ全般を聞かなくなった。
ラジオ以外の娯楽手段(主にネット)を手に入れたこと、自室のMDラジカセが故障したこと、通学・通勤の移動時間が短縮されて暇潰しが必要なくなったこと、などが挙げられる。
だが、結果として、今でも伊集院さんのポッドキャストは聞いている。
伊集院さんの深夜ラジオは、学生時代(今も学生だけど)から引きずっている、鬱屈した自分の原点であり、だからこそ自分にとって、彼の深夜放送は神なのである。(うまくまとめたつもり)

*1:時事ネタ

*2:そんなものは自分も分かっていないが