フセイン裁判

本音と建前と言うか、理想と現実と言うか。
感想としては、ああ、やっぱり理不尽だな、とか。所詮は力の論理か、とかなわけだが。
暫定政府が決着を狙う罪状(自国民の虐殺)で、フセインに非がないとは思わない。
しかし、フセイン自身の主張にも相応に正しさは含まれている。法廷の独立性は?アメリカの関与は?「死刑」と声高に叫ぶ暫定政府の、行政側からの司法への影響は?
最も強く思うのは、イラン・イラク戦争の時のアメリカの関与は?自国の都合でフセインを延命させたのも、アメリカではなかったのか?偽りの大義を掲げてイラク国民を殺したのも、また。




だが、フセインは敗者で、そして戦争には責任者の処断(大抵は死が伴う)が必要だ。
直接自分に関係ないことではあるが、フセインが生贄になるのが、もっとも妥当なのだろうと思う。
それが現実だ。何度も繰り返された歴史が、再び。