インド  11月12日

「ほら、このファイルを見てくれ。日本人もたくさん見てもらってるだろう?」
ヴァラナシの、少し入り組んだ路地の奥にある、アパートの一室で、俺は見知らぬ親父相手に頷いていた。
なんで、こんなことに、なってるのだろう。








夜が明けても山田FBの体調は回復しなかった。青菜に塩、もっというなら、ナメクジに塩であった。起きたくもないというので、1人で身繕いをして、オムレストハウスを出た。
別行動は2回目だ。インドに来ての約1週間。山田FBの「傍観者」に徹することで、ある程度「インド」との距離の取り方も分かり始めた、という自信が芽生え始めていた。こうなると、元来能力もないのにいっちょ前にプライドだけはある手前、「インド、恐るるに足らず」という意識から、自称中級者を通り越して、ただの自惚れ屋になっしまう。
リクシャにだって1人で乗れるし、飯も食えるし、日帰りでなら、小旅行だって何とかなる。要は馴れだ。
客引きだって軽くあしらって、人混みの隙間だって巧く縫って歩いt…あ、牛糞踏んだ。








モナリザでトーストとオムレツというお決まりの朝食を取って、日本人旅行者と少し話した。今日の予定は、大きく2つ。まずは、ラームナガル城。ここには、ムガル帝国時代の武器が展示してあるらしい。兵器好きとしては、興味をそそられる所だ。
そしてもう1つは、バナーラス・ヒンドゥー大学内のインド美術館と、ヴィシュワナート寺院。ガイドブックを点検してから、ゴードウリヤー*1ではなく、別の通りでリクシャを拾おうと、店を出る。
インドで店が開くのは、午前10時頃がほとんどだ。9時を半分回った街は、まだまだ静かさを保っている。
だが、開いていない店がないわけではない。そんな店の1つを横目に通り過ぎようとすると、「Korean?」と声がかかった。この手の呼びかけは、旅行中何度もあった。
何が嫌かって、外国で他国人に間違えられるのは嫌なものだ。
「Japanese」
我慢できずに訂正すると、店のオヤジが「日本人か。旅行か?職業は?へー、学生。三日後にヴァラナシじゃ大きな祭りがあるんだよ。なに、明後日には発っちまうのか。そいつは残念。あ、そこにも寺があるだろ?案内してやるよ。おいで」
…何が駄目かって、人に流されるってのは、国籍人種に限らず駄目なものだ。十分自覚していたが、俺は押しに弱かった。例えば、勧誘の電話とか、マニュアル化された口上でも、ペースをコントロールする話術を用いられると、もう弱い。
オヤジは割と親切に説明すると、寺院の前にある店に俺を招きいれた。買う気はないが、礼代わりに話くらい聞くか、という気持ちで付いて行く。
「お前、グルを知ってるか」
オヤジは、新聞を取り出して片隅の記事を指差した。
「グルはな、徳の高い修行者なんだ。このグルは特にスゴいパワーがあってな」
記事には、中分けのブルネット、やけに頬のこけた白い顔を、サングラスとマスクで隠す、どこかで見たようなスーツの人物の写真入りだ。
「マイケルじゃん」
「そうだ。マイケル・ジャクソンは、今回の事件の後に、このグルを頼ってインドにきたんだ。パワーを分けてもらうためにな。そして、グルにパワーを分けてもらったから、無事に済んだんだ」
「マジか。へー」
嘘か本当か、マイケルジャクソンがここ最近インドに来たという話は聞かないが、「ちょっとキちゃってるマイケル」のイメージからすれば、あり得る話かも、と思わせる妙な説得力があった。
「ここのグルはな、日本人もたくさん占ってるんだ」
「…ふーん」
「お前彼女いるか?」
「ハッハッハ…いねぇ」
「ラブパワーが付くぞ、勉強も、商売も」
「なるほどねぇ」
「お前も見てもらわないか?」
「なるほd…え?」
ここで断ればいいのだが、なぜか付いていってしまうのが、悲しいところだ。
ネタにはなるだろうけど、山田FBに話したらまた馬鹿にされるだろうなあ。もしくは、心配されるか。命まで取られることはないだろうけど、しかしなんで俺ってやつはこう油断しての失敗が多いのか。
「日本にも牛はいるか?」
「日本の街には、牛なんか徘徊してねーよ」
「ホントか?!」

*1:ヴァラナシのデカい交差点。目印になりやすく、リクシャも簡単につかまる