木を植えた男

思春期に読んだ小説で、特に印象に残った作品が、中学時代と高校時代に、それぞれ1つずつあった。
高校のときは「山月記」。そして中学のときに好んで読み返したのが、この「木を植えた男」だった。

1913年、フランスはプロヴァンスの荒涼たる地で、「わたし」はエルゼアール・ブフィエという羊飼いの老人と出会う。人々が互いにいがみあって暮らす荒れ果てた土地で、羊飼いの老人は、どんぐりをより分け、それを植えるという作業を繰り返していた。
老人は逆境に耐えながら、何十年もその作業を続ける。「わたし」が老人の下を訪れるたび、木々は育ち、水は甦り、新たな村が生まれていく。

歴史には残ることのない、1人の老人の行いが、大地を再生させ、そこに人と幸せを呼び込む。修行者のように、孤独を物ともせず、困難に耐え、そうして積み上げてきた行いが、いつしか大きなことを成し遂げている。
そのことに心を打たれた。
中学生のときには、単純に、この「偉大な仕事」というものへの憧れしかなかったように思う。
自己顕示欲だけは大して変わっていない今は、この仕事に憧れる一方、老人の行為に対しての恐れがある。
老人の行為は、生易しいものではない。人に省みられるかどうかも分からない。それで日々の糧を得るわけでも、享楽を得る財を築くわけでもない。
そんな行為を、続けられるか、否か?

人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、
長い年月を見定めて、はじめてそれと知られるもの。
名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行いは、
いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、
のちの世の人びとにあまねく恵みをほどこすもの。

半生を掛けた、崇高な行為に対して、人生も4分の1を過ぎた俺は、いまだに憧れを抱いている。

木を植えた男

木を植えた男