夢とか

先日、母方の祖父に「病院に就職して、看護士を目指すつもりだ」と報告したところ、就職については一応喜んでくれたものの、少しがっかりした様子だった。
元々、自分の歴史好きを一番喜んでいたのは祖父である。親戚筋に歴史好きがいないせいもあったと思う。TVを見て、あるいは本を読んで、疑問に思ったことを尋ねると、延々と講釈を垂れるのが常であった。
きちんと聞いたことはないが、恐らくは、大学で史学を学んだ孫が、その筋の職業に就いてくれることを望んでいたと思う。研究者とか、記者とか。
だが孫の方は、あまり勉強が好きでなかった。歴史にしても、一通りの知識と歴史観は欲したものの、研究職レベルの学問には興味がなかった。





こんなこともあった。バイトの後輩のY間くん*1は、高校卒業したてだからか、邪気が無いというか、自分の可能性をまだまだ大きく捉えられる人間だからか、時たまグサグサ心に刺さる言葉を発してくる。
Y間「hageさん、なんで就職しないんすか。なんか夢とかなかったんすか」
hage「あー、文章書くの好きだったし、ライターとか、文章書いて飯食える職業になりたかったかな…」
Y間「何で諦めちゃったんすか。なれば良かったじゃないですか」
hage「…」








だよねぇ。
まぁ要は、そこまで研鑽するのが嫌だったわけで。試練に対しても他力本願というか、「結果的に波乱万丈な人生なのはいいけど、自ら波乱万丈な人生にしようとは思わない」。
毎回中島敦だけど、「滝壺を見て、その手前で止まっている」。こういうことに関しても、それが当てはまる。











今の仕事もたったの4ヶ月目だから、この先どうなるかはともかく、やっていることは楽しい。人に感謝されるのが嬉しい。
就職について、ついに本気にはなり得なかったが、漠然と、自分なりに職業についての基準はあった。
焼き肉屋のバイトで接客を経験してから、客に喜んでもらうとか、褒めてもらうことの嬉しさ、快感を知った。だから、人を相手にしない仕事は選択肢から外れた。自分がやったことに対して、金や数字以外の何かが欲しかった。金も欲しかったが*2
省みるに、面倒臭い、嫌な性格だと思う。目立ちたがりの癖に、臆病で、自らが傷つくことを恐れた。自分で立ったことは無かった。担がれたことはあっても。「俺はそんな気はないけど*3、まわりがそういうなら、そうするなら、しょうがないから、やるよ」と、予防線を張っている。責任を問われたら、上手く逃げられるように、どんな言い訳もできるように、一歩引く。
保身に走る性格は、これからもなかなか直らないだろうなぁ、と思う。それだって、前よりは幾分マシになっていると思うが。仕事に関しては。
要は、人に喜んで、楽しんでもらうことが好きだ*4。今となっては、だが、大学にいかなくてもよかった。高卒どころか中卒で、大道芸人になったってよかった。
そういう男です。

*1:六大学付属でラグビー部。その後、持ち上がりで進学。筋肉と体育会気質が気持ちのいいナイスガイ

*2:今も欲しい

*3:あるくせに。やりたいくせに

*4:今のところ、あくまで自分の手が汚れない範囲で、だが。