インド 11月9日

アーグラでもらった風邪は、喉にその駐留場所を移していた。セキをすると、真っ黄色の痰が吐き出される。空気が悪いせいもあるのだろう。
インド人は、性別に関わらず道端に平気で痰を吐くが、俺もそれの仲間入りだ。カーッ、ペッ。
とはいえ、ここまで酷く喉に来たのは初めてだった。声が出ないから、囁くようにしか喋ることができない。
カジュラホの見所は、なんといっても「カーマ・スートラ」を模った、寺院の官能彫刻だ。品なくいうなら、セクロスをモチーフにしたエロ彫刻である。
カーマ・スートラについては、ウィキペディアにこうある。

古代インドの愛の経典で1-6世紀頃の作品と言われる。 著者はヴァーツヤーヤナ(生没不明)で、正式なタイトルはヴァーツヤーヤナ・カーマ・スートラとなる。

第二章は赤裸々に性について綴ってあるため、特に有名である。 カーマ・スートラは、7部35章に渡って書かれており、その内訳は以下の通り。

導入部 (全四章) 一般的な愛について。.
性交について (全十章) 接吻、前戯、性的絶頂、 体位のリスト、 オーラルセックス、 変態性欲、w:Ménage à trois(3P?)
妻を得るには (全五章) 求愛 と 結婚
妻について (全二章) 妻の適切な行為
人妻について (全六章) 主に婦女誘惑の方法。
娼婦について (全六章) 
他人を惹き付けるには (全二章) 

要は性に対する指南書なわけだが、これを彫刻にして寺院に置こうという発想がすごいと思う。
だが、ヒンドゥー教寺院の御本尊、シヴァ・リンガも男根を模り、その下の水滴上の台座は女陰*1だそうだから、元々性には割と大っぴらなのだろう。
メインストリートにたむろする土産物売りの中には、カーマ・スートラを売りつける奴もいる。英語版はともかく、日本語版まであるというからビックリだ。
正直、江戸時代の春画でも頑張れるので、この土産物はかなり迷った。結局買わなかったが。
カジュラホには、南、東、西、3ヶ所に寺院群がある。一番規模が大きく、かつ整備されているのは西群で、東群はそれより小さく、南群に至っては、現存する寺院は2つしかない。
レンタルサイクルで、寺院を巡る。道は当然舗装なんかされていないが、自転車の耐久力はなかなかのものだった。悪路をものともしない。
南群に行くにも東群に行くにも、相手が旅行者と見ると世話を焼きたがるインド人が必ず付いて来る。頼まれもしないのにガイドをし、自転車のチェーンが外れれば、自ら進んで治し、「何かくれ」というインド人が。
山田FBはそれまでの経験から、一貫してこれを拒絶していた。
俺自身は、後ろで微笑しているだけだった。「どこまでやっていいのか」が、あまりつかめていなかったせいもある。彼らが示す「善意」に対して、どこまで応えていいものか…2週間の滞在では、結局「その適度な距離」を測ることができなかった。
山田FBにしても、「俺もインドは2回目だけど、いまだに分からない」と後日語っていたので、とかく違う文化圏での対応は迷うものだ。
結果的に、「人を見たら泥棒と思え」の論理で、こうした連中は十把一絡げであしらった。捻りの無い防衛策だが、融通が利かないという点さえ除けば、一番有効な戦術なのは間違いない。
…とはいえ、この手のインド人が、同胞に「善意」を向ける場面は見たことが無かったから、彼らの「善意」が全世界共通で通用するそれではないだろうが。





西の寺院群は、柵で囲まれた公園のようになっている。

こんな寺院が、当時は80以上あったそうだ。
入場の際に、ちょっとしたハプニングがあった。
インド滞在時、2人を取り巻く敵は無数にいたが、ジャンル分けすると常に戦わねばならない4つの相手が存在した。客引き&物売り&リクシャ引きと、ADAである。
インドの遺跡には、考古学局が値段設定した「ADAチケット」というものが必要なところがある。これが厄介なのは、全ての遺跡でADAチケット購入が義務付けられているわけではないこと、ADAチケットのシステム自体が頻繁に変わること、値段が外国人観光客に高く設定されていることで、山田FBは特にこのADAチケットを蛇蝎のごとく忌み嫌っていた印象がある。
「観光客というラインは同じであるのに、何故インド人より5倍も高い料金を払わなくてはならないのか」、と。
チケット売り場で、差し出した$10札を、鉄格子の窓口の係員は一瞥して投げ返してきた。
頭の上に、大きな?マークを出して山田FBを見る。
瞬時に戦闘モードに切り替わった彼が、俺を押しのけて係員に食って掛かった。
「Why?!」
係員は面倒臭そうに、一枚の用紙を手元に滑らせた。
「ドルで払うなら、この用紙に所定の事項とパスポートナンバーと紙幣ナンバーを記入するように」
「はぁ?なんで?!他ではそんなこと言われなかったぞ!こんなことやってるの、ここだけだ!」
とりあえず交渉は任せて、静観することにした。
水準より、明らかに法外な金を要求されたならともかく、紙幣を投げ返したことの方に激怒する相方に、あっけに取られながら。
ここまで怒ることはないのでは…と思ったが、口には出さなかった。性格のせいか、それとも経験の違いせいか(恐らく両方だろうが)、この手の言い争いは後にも何度か遭遇したが、自分と山田FB、両者のスタンスは常に固定されていた。人の持つ主観性と客観性のそれぞれ一方を、図らずも2人が役割分担していたことになる。
ただ、これが自分1人だったら、どう対応していたか分からない。同じように怒り…はしなかっただろうなあ。やはり性格が大きいと思う。









官能彫刻は、ガイドブックで大々的に取り上げられるほど多いわけではなかった。
なるほど、石像に限らず、ここまで赤裸々に性を描写した芸術はなかなかあるまい。

*1:あー、言うの恥ずかしい