インド 11月11日

「お湯が出ないよー」
「まだ出ないの?」
「水しか出ねー。どうなってんだ」
不調だった一日を象徴するような、ヴァラナシの夜だった。
「24時間湯が出る」はずの部屋のシャワーから降り注ぐの水は、いつまで立っても冷たいままで、先を見越してパンツ一丁になったのを、今更ながら後悔した。
宿の言い訳も、聞く度に変わった。
「今機械のスイッチを入れた」
「上の階の客がお湯を使っている」
「上の階の客が、湯を出しっぱなしにしたまま外出した」
「もうすぐ出る」
「後10分だ」
「ごめん、後15分」
「今日は出ないみたいだ」
この結論を言うために、延々と40分。しかも、引き伸ばしても湯は結局出ないのに、だ。
更に15分立って運ばれてきた湯は、洗面器一杯分。しかも熱湯。
「もう1杯持ってくる」
挙句の果てに、パンツ姿の俺を見て、「彼はどんな格好でお湯を待つんだ?」と笑う。
ゲンナリするしかない。
そもそも、バーラトマーター寺院からして外れだった。
インドの薄汚れた立体地図があるだけの寺。帰ろうとすると、寺院で欧米人旅行者を相手に説明をしていたインド人が、「靴の預け賃を払え」という。
この手のやり取りは山田FBに任せていたのだが、その会話を聞いていた、初老の欧米人旅行者が、ポツリと一言「Must pay」と呟いたことで、いまだかつてないくらい山田FBがキレた。そこからはもう罵詈雑言の嵐で、サイクルリクシャに悪態をつき、ツーリストバスを蹴り飛ばし、俺はその傍らで、嵐が過ぎ去るのを相鎚を打ちながら待つ体勢。
鉄道チケットを取りに行けば、駅のシステムが旅重なる停電でダウンしっ放し。おまけに、外国人用予約オフィスではなく、インド人用のそれに並んでいたことが判明。
外国人用オフィスのドアノブには、太極図と「独島は韓国の領土です」と描かれたステッカーが、多分勝手に貼られている。どこの馬鹿だ。
夕食を食べようと乗り込んだ食堂では、チキンカレーを頼むが待てど暮らせど料理が出てこない。俺は待つのに慣れているが、珍しく山田FBも黙って待っている。
「疲れた…」
昼間の肉体的+精神的な疲れも去ることながら、「風邪ひいたっぽいわ…」とのこと。
翌日の予定を頭に描きながら、ガイドブックを眺めていたが、ふと時計に目をやると、オーダーしてから40分が過ぎている。
「…さすがに遅いね」
「…チキンがないから」
「…は?」
「チキンがないから、マーケットまで買いに行ってるんだってさ。今」
「マジか」
「無いなら無いって、最初から言えよなー…」
山田FBは肺のそこから吐き出すように呟くと、机に突っ伏して、「あー、もう今日は負けだ、負け。負けだわ」と言った。
インドに対する負け。ヴァラナシに対する、日本の敗北である。








「負けだわー」
洗濯物を洗うのを諦めて、冷えかけた体を拭きながら言った。
早々に寝ることに決め、ランプを消す。そういえば、泊まる部屋も上の階のはずが、「外国人の客が、腹痛でもう1日延泊するそうだから、今日はここで我慢してくれ」と宛がわれたのは、従業員用の部屋だった。
電気も無く、ランプが1台釣り下がっているだけである。
石油ランプから出るガスで、むせ返りそうだった。
「明日俺宿で休むから、別行動でよろしく」
「マジですか…」
暗闇の中で、くしゃみの音が1度した。