山月記

今までどこかで書評していたような気がしていたが、全然そんなことなかくて吃驚。まだ東方三部作も書評してないし…本当に気に入った本については何も書いてないなぁ。




恐らく何割かの人は高校の教科書で読んだことがあると思う山月記中島敦の、特に山月記の文章は、流麗にして簡潔、そして全編に程よい緊張感を漂わせる、日本語文章の傑作であると思う。
自らの才能を頼りに詩人として名を成そうとした李徴は、役人の地位を捨てて野に下る。しかし容易に名は上がらず、ついに挫折して再び役人となったとき、かつての同僚は既に彼より高位に進んでいた。自尊心を傷付けられた李徴は暗鬱な日々を送り、ついに発狂して人であることを辞め、虎となってしまう。物語は、虎となった李徴と偶然再会した、かつての同僚、袁傪との対話を軸に進む。
高校生の頃、思春期の思考と、李朝の告白に多くの相似があることに、心底驚いた。

努めて人との交わりを避けた。それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。自尊心がなかったとはいわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の所為である。
己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
人生は何事をも成さぬには余りにも長いが、何事かを成すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたために、堂々たる詩家になった者が幾らでもいるのだ。

李徴の吐く台詞が、なんと思春期の高校生に突き刺さったことか。
根暗な思春期を過ごす人間には、必読推奨。悟浄出世と併せて読むと、心に深く感じるところが出てくること請け合い。

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)