自転車 8月9日 その2

バスに揺られること20数分、山道をガンガン登っていく。かなりの坂で、もし自転車で上がることになっていたら、この旅行一番のキツいポイントになったと思う。
恐山に関して、wikipediaには、

恐山(おそれざん、おそれやま)は、下北半島の中央部に位置する霊場であり、高野山比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。

恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。「恐山」という名称の単独峰はない。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。

寺名は恐山菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。本尊は延命地蔵菩薩。 開山は慈覚大師円仁による。

とある。
バスを降りると、なんの捻りもない直射日光、照り返してむせるほどの熱気なのだが相変わらず暖かいとしか感じない。
旅行雑誌の写真などで見ると、霧がかかって薄ぼんやりと明るい中に、宇曽利湖がどこまでも蒼く広がっていてワクワクするくらい幻想的なのだが、降り注ぐ陽光の下ではその雰囲気も効力を失うようだ。
とはいえ、真夏に気持ち悪いくらいいい天気の恐山で、人気(ひとけ)が全くなくなれば、それはそれでホラーだが。要は感じ方の問題であろう。
湖の周囲は、鬱蒼とした原生林に囲まれているのだが、寺の周囲だけは、噴出す硫黄の影響で地肌が剥き出しになっている。目に付く緑といえば潅木くらいだ。

白くボロボロになった砂利の上を歩くと、無数に敷き詰められた白骨を踏み砕くような感覚に陥る…実際そうなるのは、相当想像力逞しい人だと思うが、そこかしこに詰まれた石の山と音もなく回る風車(かざぐるま)が、「恐山」という雰囲気を存分に醸し出している。


恐山といえば、イタコ、というイメージがあるが、軽く見て回った限りでは、石を投げれば当たるくらいいたとか、「イタコ控え室はこちら」という看板があることもなく、というより全く見かけなかった。年二回くらい祭の期間があるらしいので、そのときじゃないと集結しないのか知らん。
「地獄」と対照的な風景を成すのが「極楽浄土」を、自然が無作為に模した宇曽利湖だが、しかし透明度の高い湖と白い砂浜は、「極楽」よりもより「浄土」の方に偏っている気がし、対岸の、見るからに生命力を感じさせる森と対比して「生命の気配がない」。


とここまで書いて、どっかでおんなじようなこと感じたな、と記憶を探っていると、そうだ、ヴァラナシのガンガーと同じ構図だこれ。地獄と称されても極楽と称されても、いわば死後の世界=彼岸に見立てられていることに変わりはない。その彼岸に堂々と寺院なんか建てちゃうところが、日本とインドの違いというか、それともインドの宗教観と中国仏教系の日本の宗教観の違いだろうか。
一つ積んでは母のため、二つ積んでは父のため、とまだピンピン生きている両親のために石を積んでやりましたよ。生前供養*1






宗教について後述するつもりだが、日本三台霊場といえばwikiにもある通り、比叡山高野山で、この二つは各宗教の成立時期に首都だった、奈良・京都の周囲に位置*2している。これは成立期の二大宗教が国家の庇護を必要とし、国家もまた仏教の力を利用してその政治を全国に波及させようとした結果である。なのでこの二つに関してはその場所にあるのが自然であるし当然だな、と思うのだが、言っちゃ悪いが当時も今も本州最果て*3の恐山が「三大霊場」の一角を占める理由とは何であろうか。
開山は862年。
桓武天皇坂上田村麻呂蝦夷討伐に派遣したのが800年前後*4、この時期から大和朝廷の東北地方に対する侵攻は、岩手・秋田中部ラインで膠着するから、そこから更に北部の青森の山奥なんて言ったら敵地も敵地である。原住民*5にも各々信仰する神があったであろう。そこに自分達を支配しようとする西の方から、頭がパンチパーマで寝てるんだか起きてるんだか分からん顔したご本尊を「神だ」と言い張る異国の宗教の聖職者が来たわけだ。
辺境民の教化→大和朝廷の支配権へ組み込む、という意図は当然あるにせよ、人口も少ないだろうし、成果という点からみると、疑問符を付けざるを得ない。







都にいて国家の保護を受ければ、生活は保障されたはずなのに、入唐という、当時命懸けの行為を果たして帰国した後、再び円仁は命懸けの旅に出る。夢のお告げだけを頼りに。
政治的な思惑も働いたのかもしれないが、二度に渡り教えに命を掛ける姿勢は、真の宗教者というに相応しいと思う。






小一時間霊場を散策してから、寺院に隣接する食堂で蕎麦をすすり、休憩所でゴロリと横になる。顔が熱い…薬の効能も切れたようで、予想体温は再び38℃前後にはなっている模様。
2時半に出発することに決め、暫く眠った。ダルさは取れないが、山の中で野宿*6するのは御免なので、自転車を組み立て、再び走り出す。
短い距離に等高線が詰まっており、覚悟はしていた筈なのだが、やはり…キツい。ゼエゼエと喉を鳴らし、登りに45分、下りに15分…下りの爽快感は何事にも変えがたいが、空しさを覚えるのもまた事実。
一気に下り切って、大畑の集落に出、再び国道279号線に合流する。
ちらりと、大畑高校の看板が見えた。この時点では、ただそれだけのことだったのだが…。
コンビニで暫く休憩し、16時15分に出発すると、進行方向がおかしい。何かの境界線のように、真っ白な霧がかかっている。
慌ててジャージを羽織って、寒気に備える。視界の効かない走行が始まった。
夜の走りもそうだが、距離感が狂うのは、精神的に辛い。実際走った以上に、距離を感じる。
白く煙る海を見ながら走っていると、防災無線が突然響き渡った。「え〜、10分ほど前に大畑高校校門付近で熊が目撃されました
マジか。こんな所か下北半島
1時間走って、下風呂という温泉街に辿り着いた。時間的にも、ここで宿を取ればゆっくりと休める。
のだが、「大間までは、せめて大間までは」と思ってしまうのが若いところ。大間の宿はあらかじめ調べてあったので、電話をかけて予約を取る。これで、大間までは行くしかない状況が整った。…なんでわざわざ追い詰めるのかなぁ。
そして、ここからが第二の地獄。ラスト30分が辛い辛い。霧で距離感が読めない上に、熱が腰にまで回ってジクジク痛み出す。
「まだかまだかまだかまだかまだか…」
祈るような気持ちでペダルを漕ぐ足が重い腰は痛い。だがえてして、こういうときの方が距離を稼げていたりするもので、15kmを1時間でぶっ飛ばし、大間に到着したのは18時30分。
海峡保養センター*7で汗を流し、予約を取った素泊まり宿「うみかぜ」へ。
管理人のおばあちゃんに、遅い夕食とビール、「今日取れたやつだから、食ってけ」とお奨めされたいか刺しを出してもらい、ささやかながらゴールを祝った。

*1:するな

*2:近畿圏、くらいに思っといてください

*3:しかも青森の中でも最も北に位置する

*4:史学科のくせに、年号にはとんと疎い。数字覚えるのは苦手なのよー。というか、人事物の順番だけ覚えてれば、年号なんて大した意味はないのじゃないかしらん

*5:いわゆる蝦夷

*6:しかも恐山でだ

*7:温泉付き