人口減に伴った社会資本の処置

日本の人口が、何十年後には約半分になる、的な記事を先日目にした。
数字上でこれくらい、と言われてもピンとこないが、実際街にいる人の数が半分になったのを想像すると、ちょっと薄ら寒い光景だ。
現実的に考えて、各地方の中核を担う都市に住んでいれば、人口減はなかなか実感を伴ったものにはならないと思う。無人になっていくのは地方で、過疎化は全国的に進んでいくはずだ。
と、そうなった場合に、ふと、無人になった地域の社会資本、というか人工物はどうなるのだろう、と考える。
人がいなくなれば、当然利用されることもない。「人の住まない家はすぐ荒れる」というが、家に限らず色々なものが利用されなくなったとき、その不要な物の処理はどうする。
恐らく、誰も片付けはしない。苔生して見苦しくなっていくのを、見て見ぬふりしていくことになる。
いずれ何十年後の人間が、人の絶えたボロボロの街、あばら家を見て、諸行無常を感じることになるのだろうか。猿の惑星だなあ。
不要な物はさっさと撤去して、代わりに木を植えれば良い。開いた山や、均した丘や、埋め立てた海は、さすがに元に戻すだけの余裕はないだろうから、せめて街くらいは、少しずつ自然に戻していく。
醜い*1光景を残すのではなく、緑に戻せば良い。
自然と共生する日本。
とかなんかとか。

*1:つーのもあくまで人の主観に過ぎないのだが