社会派気取り

現在北朝鮮問題において、日本の対応はお世辞にも現実的なものとは言い難い。そもそも他国の国民を拉致しておいて平然と居直る国家相手に、対話と『圧力』だけで渡り合おうというのが、土台無理な話というものだ。
この点で、軍事力に対し厳しい制約を課す日本は、両足を縛ってサッカーをするのにも等しい*1
海外では、核問題こそが解決すべき最優先事項と認識されているし、「拉致問題こそが交渉の大前提」とぶち上げて国民を煽ったせいで、まず「拉致問題ありき」でなければ交渉にも臨めない。
北の戦略もあって、六者協議の関係国からは「とりあえず核問題だろ、空気嫁」的な対応までされているように見える。





お題目のように言われている「対話と圧力」にしても、そもそもまともに対話が成り立たない上に、「圧力」をかけ続けているはずが、北は政権が倒れるような深刻なダメージ*2を受けた素振りもなく、相変わらずミサイルはバカスカ撃つし、核保有(?)まで達成してしまう始末だ。
これは「対話と圧力」という対応が、期待通りの効果を上げていないことを意味するのではないか?






と、ここまでが前フリ。
さて、先日「そのとき歴史が動いた」の再放送をボンヤリ見ていた。取り上げられていたのは、石橋湛山
石橋は、日米開戦の前に言う。「日本と日本の支配地域と、日本と欧米との貿易額には、2倍の開きがある」と。そしてこう説いた「その貿易から生じる利益を捨てるのか?」と。つまり、経済から見た反戦論である。
ふぅん、と思った。
確かに、相互の経済状態が密接に関係していれば、まず損得勘定から、「実力行使」という選択肢は、完全に消えないまでも、選択される確率は大幅に下がり得るのではないだろうか。。
上記の「圧力」に関しても、向こうの貿易総額に大して割合を占めていない貿易の停止を、どうして恐れるというのだろうか。やるんだったら、在○の送金停s(ry
そこまでやったら、やっぱり完全に北の首をハンギングすることになってしまうのかなぁ。追い詰められた挙句に破れかぶれの一か八かで。それこそ迷惑な話だし、やってほしくない。
日本の経済力や文化力は武器になる。この「武器」をきっちり使って、「武『力』はない*3が、『力』はある」国になっていくことだって、十分可能だと思うのだが。相手の経済、あるいは文化の深層で、「日本がなくては成り立たない」くらいになるまで関係を強化し、力を浸透させたところで、それを使って外交を展開していく。
軍事力を使わないで、「圧力」をかけるなら、それくらいの影響力がなければ意味がない。大して影響力のない「圧力」を行使したところで、んなモンは絵に描いた餅でしょう、と。







毎回エントリがまとまらないが、現在『ネットワーク』は、人間社会のシステムを円滑に運用するために不可欠な存在になりつつある。



日本国憲法の第九条においては、

1  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
   武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とある。



それを踏まえて考えると、、この「『人間社会のシステムを円滑に運用するために不可欠な存在であるネットワーク』への攻撃」は、「武力」とその「行使」に当たるのか否か。またその「攻撃」を行うチームを組織したとして、それは「陸海空軍その他の『戦力』」に該当するのか否か。
つまり、いざ二国間以上の外交関係が抜き差しならない状況に陥った場合、国家がネット経由で敵対国家の全ネットワークをズタズタにする。いささかマンガ的ではあるが、相手の武器管制システムを掌握して同士討ち、あるいは破壊して使用不能にする、そのための部隊を編成するのは合憲であるのだろうか…って、それどこの公安九課?
まぁ相手がそこまで高度に電子化された実力組織を持つことが前提になるけど。

*1:変な比喩

*2:あくまで日本限定の「圧力」では

*3:あるいは、あるけど使われない