社会派気取り その1

国政の場でガソリン国会だなんだと騒がれているものの、辻褄合わせの答弁が多くて聞いてて気持ち悪くなるのは俺だけか。
思えば、初めてガソリンの値段というものを意識したのは、自らが自動車運転免許を取るよりも更に遠く昔の、自転車旅行を始めた中学生頃だったと思う。道路標識と並んで、一定間隔で点在するのが、コンビニ、パチンコ屋、そしてガソリンスタンドであった。
当時は1ℓ辺り90円前後で、最安値を見付けたりすると「おぉ」と感心した。記憶に残っている限りの最安値は、確か86円だったと思う。
そして、それから約10年を経て、ガソリン価格は2倍弱にまで値上がりした。理由としては、精製施設の不足、原産国の政治不安や価格操作、株式市場や金融市場から、投機筋の資金が原油市場に流れ込んだ…など、色々あるようだ。




そして昨今の日本では、野党民主党を筆頭に、暫定税率を廃止すると25円前後ガソリンが安くなると謳って、政府与党を攻撃し、それに対して、暫定税率から得られる税源は地方の道路整備に必要だ云々の反論がなされている。
こういう本音と建前を大前提とする場においては、必ずしも率直に本音を語ることが大多数の賛同を得るとは限らない。
だがどこか「傍観」という立場から離れられない自分にとっては、政治の場において本音を語ることが道理にかなっていると思うし、少なくともそれは国民に対しての誠意なのではないかとも思う。思うだけだが。
地域経済の一端を担うのは、公共事業である。公共事業が、地方を延命させている。もっと具体的に言うなら、壊死しかかっている体組織に、蘇生剤をぶち込んで「無理矢理」延命させている。道路建設は公共事業の中でも、大きな割合を占める。それを生業とする人々がいて、そこには票がある。
そう明け透けに話せばいい。「道路自体は必要ないが、道路建設は必要だ」と。例えその道路の利用率が限りなく低いとしても。
地方は死に掛けている。もう死んでいると言ってもいい。ゾンビみたいなものだ。





現状を無視して、その票を確保するために、政府与党はかかる言い訳を持ち出した。
「地球環境のためにもガソリン値下げ反対」。阿呆か。アホかじゃなくて阿呆か。
それを突き詰めていくと、究極的には車は不要だし、車が不要になれば道路は要らないし、その道路を建設するための税金だって要らないことになる。
こんなバカな言い訳しか考えられないくらい、政治家って連中は終わってるのか?せめてもっとまともな言い訳をしてもらいたい。
…と思っていたら、当然のことながら野党が突っ込んでいた。

菅直人
「首相が『環境に対する税金』と位置付けるなら、道路特定財源をやめて、環境にプラスになる税に提案し直さないと矛盾する」

古川元久
「道路整備のための税を法改正せずに環境目的に振り替えるのは納税者をあざむくこと」


ですよね。