ソースはスポーツナビ

吉田と対戦するジョシュ・バーネットが、昨日16日のIGFで小川直也に再試合の末敗れたことに関して、吉田は「一体どうなったの?」とマスコミ陣に逆取材すると、「いいね、再試合(笑)。でも、次へのシチュエーションとか、僕らはそういうことができないですからね。お客さんが喜ぶ試合ができればと思っています。あとは挑戦者の気持ちで」と、正真正銘の1回勝負で完全決着をつける覚悟だ。

こういう言葉が出てくること自体、IGFが純格闘技ってわけじゃなくプロレスの延長線上であるという証左だと思うが、じゃあ逆に、戦極なりDREAMなり、PRIDEなりが、「エンターテイメント←→リアル」*1というバランスの中で、リアルにMAXボルテージ振り切れていたかというとそうではないわけで。
吉田の発言は、
「純粋に戦闘能力で決着が着くなら、そもそも『次』というものはない」
→「なぜなら、総合格闘技は真剣勝負であるから」
→「『戦極』は真剣勝負=リアルファイトの場なのだ」
ということなのか。
だが本当の『死合い』であるならともかく、アマにしてもプロにしても「次」がないなんて話はない。PRIDEでのミルコは、その頂に一度届きかけた手をノゲイラに蹴飛ばされたが、そこで挫けることなく、再び頂を目指した。その過程にファンは注目し、共感し、盛り上がった。そんな例はいくらでもある。
そういう意味では、よりエンターテイメントに振れた場であるプロフェッショナル格闘技=『戦極』に上がる選手は、リング外でもパフォーマーであることを心がけるべきだ(現在はむしろ*2メディアが、その役割の多くの部分を担うとしてもだ)。
勝つ、あるいは負ける。そこでその戦いは終わる、というリアルよりも、一度転んで起き上がるという「エンターテイメント」に客は惹き付けられると思う。





まぁそれより何より、ファンは吉田をエースとして受け入れるかという話だが。日本人がトップでなくてもファンは受け入れるというのはPRIDEでも証明されているし。

*1:全然対義語じゃないけど

*2:広い意味での