三好先生は。

読売新聞の夕刊では、火曜日に高齢者向けの特集を組んでいて、そこで三好春樹先生が短いコラムを連載されている。
三好先生のコラムを読むようになったのは、例によって母親(介護福祉士、公務員)の勧めがあったからなのだが、先生の体験や知識、志やそれに基づく理想を読むにつけ「そんな上手くいくわけねー」と思いつつ、「…でも、上手くいかせてるんだよな。三好先生は、一体どんな魔法を使ってらっしゃるのかしらん」と思う。
で、はてな検索かけたらキーワードがあるのか。そして、キーワードの説明文を読んで、日々の業務にいつの間にか流されて、ただそれをこなしている自分を少し恥じた。
そりゃ仕事か?と。お前の、ただ「やっている」だけのような「仕事」が、果たして労働の対価としての報酬を得るに値するだけのものだと、お前は胸を張って言えるのか、と。





理想だ、青い、と言われても、だ。志のある仕事をしている人はいっぱいいる。





のはまぁともかくとして、だ。(今日は話が一々ぶれるなあ)
つまり、金のないところ、それに付随する競争のないところには、まぁ志云々はさて置いておくとしても、純粋に、能力的に優秀な人間は集まりにくい、という事実があり、そういった意味で介護の世界というのは、「お金はかけられません。でも、いいサービスを提供してください」という要求を提示され続けている。今のところ。
ふざけんじゃねー、と言いたくなる。
三好先生は、

 介護現場の人手不足が深刻だ。でも私は、今の状況は、介護職にとってのチャンスだと訴えている。なにしろ、どこでも介護経験者は大歓迎だ。嫌な職場に我慢している必要はないのだから。

 介護の世界には市場原理は通用しない。いいケアをしようと、老人をダメにするようなケアをしようと、介護報酬は変わらないのだ。では、どうやって悪いケアを淘汰(とうた)していけばいいのだろうか。

 介護の仕事は、給料は安いし、仕事はきつい。これはどこでも同じだ。でもやりがいがあるから続けられる。やりがいがないどころか、罪悪感を抱かざるを得ないような仕事をするのでは、続ける意味はない。もっと役に立っていると思える職場、自分の思いを実現できるような職場に転職した方がいいだろう。

 介護職にやりがいを与えられないような事業所には人が集まらなくて継続できない、という形で、よくないケアが淘汰されるべきだろう。今はそのチャンスなのだ。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/kokoro/20080226-OYT8T00407.htm

と。本当にそうなってほしいもんだ…とは思うが、先生、それだと悪い事業所でも縋らなくちゃいけない利用者が路頭に迷いませんか、と。