ユーザー(消費者)は果たしてクリエーター(供給者)を超えたのか。

もっと砕けた表現にするなら、
後出しジャンケンで、更にどれ*1にも勝てる手(こんなの)も使えるにも関わらず、圧倒的に勝ちきれなかった件」
としてもいい。
アイドルマスターの新作、L4Uの発売に伴って、公式DVDに特典として入っていた、塊魂とのコラボレイトソング「団結」のPVを見た。ニコニコに上げられてたやつね。

当該作品は既に削除されているようなので*2、ここでは比較動画をソースとして挙げよう。
D
比較版ということで、当然視聴者がその優劣に言及するコメントもある。当然荒れる原因になるので、タグで自治が促され、場の協調が図られている。
ということで、自分が感じたいくぶん当たり障りのあることに関しては、チラ裏であるここに書くとしよう。







パンナムP…ッ!
その時の気持ちを表すと↑のようになるわけだ。多くの人間がそう感じたように、自分もまた「MADの方が上なんじゃね?(作品の出来的な意味で)」と感じた。ただ、その上で生じる感想は、マイノリティに属すると思うが、「MADスゲー!ニコマスプロデューサー大  勝  利!」ではなく、「パンナムもっと大人気なくって良かったのに…」であった。
つまり、生産者として、ゲームを供給する側としての力を200%出して、MADとの差をはっきりと感じさせてほしかった。「プロフェッショナルの仕事と、アマチュアの趣味は違うんやでゴルァ」というところを、存分に見せ付けてほしかった。
バンダイナムコはゲームを生み出した側である。
対してニコマスは後発であり、特にPV系MADは、メインの素材をアイマスに求めれば、今まではプロデューサー自身のセンスや技術、時間によって、いくらでもいいものを作ることができた。
さて、このニコマスというゲームを使った二次創作が、アイドルマスターを見る上での一つの重要な要素として我々に認識された後、バンダイナムコ*3ニコマスと同じ土俵まで「降りて」きた。
新曲、新曲用のダンスモーション、衣装など、あらゆるものが揃った上での作品である。なんだかんだ言っても、バンダイナムコの「アイドルマスター」がなければ、ニコマスだって無かったわけで、そういう意味でも、原点であるバンダイナムコが新モーション、新衣装、『団結』だって、L4U仕様に再録した上で作った「団結PV」を作ってもなんら問題はなかった。
逆に、そこまでしてほしいと思ったのは、自分の中に「プロとアマには歴然とした差があるべき」で、「プロは選ばれた人間であるべき」という固定観念があるからだろう。






あああああ、なんかこの辺書き出すとあっちのサブカルやこっちのプロアマ論やら、普段漠然と考えて「…これ以上考えんの止めっか、面倒クセーし」と思考停止にしてきたことまで言及しなきゃならん気配が…。
ついでにちゃんと中身のあるものを書くつもりなら、いろいろ調べればその辺の議論の積み重ねはバンバン出てきそうな気が…。






という話をCG屋*4のHATさんにしたところ、「プロも(MADを)作ってるんだろうから、(傍目に見える差の無さは)仕方ないんじゃない」旨の発言があり、ウーンと唸った。
今までは傍から見て「売る側」と「買う側」にはっきりと分かれているから、「MADを作る側」の人達は「買う側」であり「アマチュア」であり、「自分達と同じ側」である。その逆に、「売る側」は「プロフェッショナル」であり、「向こう側」にいる人間である、ということを、何の疑問も抱かずに、全てイコールで結んでいたのだが。






いや、そもそも「プロとアマ」と言う所から考えることが不毛なのかもしれない。好きなことを人はやるし、好きだと言うし、それは他人からなんと言われようと変えがたい。それこそが「好きだ」ということなのだと、その好きなことに対する愛の深さの証明でもある。
FLIP-FLAPで、とよ田みのるは登場人物にこう喋らせている。

「何か見返りがあるわけじゃないし」
「誰かがホメてくれるわけでもない」
「意味の無いことって空しくならないか?」




「俺の心が豊かになるだろう」
「好きなもんは好きなんだよ!!!意味ばっか求めてんじゃねーよ!!!」

究極はそこだ。

*1:グー、チョキ、パー

*2:そりゃFULLでうpれば…

*3:向こうにその意識があるかは別として

*4:ごめん、分類としてはこれでいいのか