ペッタンぺったん餅ペッタン

何年か前にも書いた気がするが、母方の実家では年末に餅をつくという風習が(なぜか)存在し、例年つき手として刈り出されている。一部付き合わされたことのあるリアル友人もいたりして、その節はお世話になった。
こういった、「昔からある風習」なんてものは、大元を辿っていけば、大抵平安や五穀豊穣を記念する神事なので、その両方とも神頼みに頼らなくてもよくなった現代で廃れていくのは必然だろう。
wikipediaにある餅つきの項目を紹介するのもなんだか味気ないし、折角写真も撮ったので、餅つきがどんなものなのか現代っ子に解説しようかい。




  • 準備

餅つきの準備は前日から始まる。大体母と祖母、嫌々刈り出される妹が、もち米を20kg前後洗って水に浸す。
母方の実家は、祖父が家父長制寄りの考え方の人なので、割とはっきり「男のする仕事」と「女のする仕事」が分かれており、この時点で男が参加することは皆無である。いや、参加しても問題はないのだが、面倒だから、という理由での不参加も許されるので、必然的に前日の準備はしたことがない。



  • もち米を蒸す

簡易的なかまどで、薪を使って湯を沸かし、もち米を蒸す。大体一段のもち米は4kg弱に設定されている。
昔は「俺にもできる仕事がある!」と歓び勇んで、朝早くから火の番をした。最近は面倒なので行かなくなってしまったものの、祖母の年齢を考えれば、今こそお前がメインで動くのが必要とされている時期だろうに。反省したい。(何を他人事のように)

蒸し時間は50分程度で、下の段が蒸し上がったら、二段目を下ろしてその上に新しい段を重ねる。蒸し立てのもち米は美味い。ただこれだけを美味い美味いとモリモリ食っていると仕事にならない。あと、餅にする分の米が無くなる。



  • 捏ねてから搗く

ここから漸く男衆がメインの仕事になる。
餅つきにおいても最も力を使うのは、餅を「搗く」という行為ではなく、その前段階の「捏ねる」という動作だということは、あまり知られていない…ような気がする。
いや、しかし実際この捏ねるという仕事が最も力を使い、かつ面倒な作業である。「搗く」行為は、極端に言ってしまえば仕上げの段階に過ぎない。もち米を捏ねて米の粒を潰しておかないと、搗いた時にバンバン米粒が飛び散る。
捏ねていると杵の先に米がベトベトくっ付くので、これをしゃもじでこそぎ落として、杵を水に漬け、再び捏ねる。


十分に粒が潰れてきたら、一人約10回を目処にもちを搗く。
母は3人兄妹の末っ子で、つまり自分にとって伯父が2人いることになる。いつか、整理するという意味も込めて、自分のルーツである父母の実家のこともつらつらっと書いてみたいもんだ。
さて、この伯父2人と、祖父、父と、父方の祖父、従兄弟、そして自分が、この餅つきに動員される戦力の全てである。
祖父や、そろそろ60も見えてきた伯父や含め、若いモンに任せるのかと思いきや、「今年はどれくらいできるかな?」もしくは「まだまだこれくらいはできるぞー」という自分の体力確認&アピールの場の意味も、餅つきにはある。
手水を打つのは大抵母の仕事だ。60回ほども搗くと、ちょうどいい粘りになってくる。
餅つきを全くやったことがない人間は大抵動きがぎこちない。ただちょっとスポーツ経験のある人間なら、その経験を応用すれば良い。つまり腰を適度に落として重心を安定させる、「腰を入れた」状態で搗きゃいいのだ。
自分自身は、とにかく力を使うのが嫌なので、杵を振り上げる時に右手を滑らせて柄の下を持ち、杵の自重と重力で振り下ろす。




  • 形を整える

搗き終わった餅は、父の手で、父方の祖父の元に運ばれる。

父方の祖父も、戦前生まれらしい割と数奇な運命をたどった人であるが、どうやら餅問屋に出入りしていたこともあったと最近知った。
餅だけに、昔取った杵柄で粉をまぶし、伸し棒で餅を四角く形成していく様は確かに手馴れている。


伸された餅は、翌日か翌々日に切り餅にされる。



  • 搗き立てを食べましょう

最後の一臼は、お昼ご飯も兼ねて、搗き終わってから千切り、あんころ餅、きな粉餅、海苔鰹節餅などにする。

この場合、なぜか豚汁やカレーがつく場合が多い。ビールを開けて和やかに餅を食って、餅搗き会は終了となる。