結婚式とウェディングドレスは女性の永遠の夢なのか。

大学を卒業して3年、部活を引退してから実に4年、部活について書くエントリはめっきり減った。現役時代はほぼ毎日顔を合わせていた同期とも、最近では(数名を除いては)一年に一度会うかないかだ。青春は遠くなりにけり。
とか話すと、「今年からまた学生じゃねーか」とツッコミが入る。だが、25歳の学生と18歳当時の学生ってのは、精神的にも肉体的にも違うモンで、じゃあどちらが「青春か」と問われるなら、俺にとってのそれは間違いなく00〜04年までの大学時代に過ごした、部活動の時間であるわけです。…というか、良く考えりゃ体育系の人間は中学〜高校時代に既にこの過程を経ているわけで、俺もこう言っちゃいるが一般的な「青春」の形容詞があてはまる時期とはちょっとずれている。





それはさて置き。
同期のOKDとおばちゃんが、大学2年からの交際を実らせてゴールインした。建前として「部内恋愛禁止」だったので、当然周囲に伏せたまま付き合っていた。ここもツッコミどころだが、実は明確に「付き合ってる」という報告は、結局のところ結婚するまで同期も聞いていない。
「結婚するから、ついては結婚式と二次会で協力を」との要請があったのは去年の夏で、それ以来、同期のししゃもを中心に、既に社会人になり、仕事も立場も住む場所もまちまちになってしまった、いわゆる「大人になった」青春時代の仲間達が、各々の領分とのバランスを考えた上で、昔日の友情やら同期としての義理やら、それもこれも全部ひっくるめた「しがらみ」に巻き込まれていくことになる。



…とか書くと、何やら失敗臭漂う展開への予感が嫌が応にも高まりそうだな。





事前のミーティングにほぼ「毎回」出席していたのは、俺とししゃも、主務を努めたヘッドコーチくらいで、秋田に引っ込んでしまったじぃは物理的に結婚式までの顔合わせが不可能。土日が休みでないA治も全滅。他は…まぁ何やかやと自分の領域で調整がつかなかった模様。
幹事という役割でししゃもが全般を取り仕切り、俺に割り振られたのは、ヘッドコーチとの披露宴での奉納演武、二次会でのヒストリームービー製作。
同期全員が参加する形での出し物は、ハンドベル演奏に決定。
演目が決まったら決まったで、また全員が顔合わせるのが難しい。俺に関しては奉納演武の練習もヘッドコーチと行いつつ、ムービー製作に向けて素材を集めつつ、という二つの作業を同時並行で行わなければならない。


  • 演武

そもそも演武出演も、現役時代全国大会で3位を取り、部活引退後も少林寺を続けているヘッドコーチはともかくとして、俺の方は予選突破すらしたことない上に3年もブランクのある元へっぽこ拳士。もうなんかやる前から、いつも以上に色々と謝ったり予防線を張ったりしなければならない。
案の定動いてみると、身体が重いし切れがない。現役時代と変わってないのは気合くらいか。パターンはヘッドコーチが組み立てて、全5パターンの短い構成。「演武やるスペースは確保されてるけど、狭い」ということだったので、情報に従って4m×2mという、本来演武をやるにはありえない空間を想定した練習が繰り返される。
hage「狭っ…あ、今はみ出た」
ヘッドコーチ「このままテーブルに突っ込みそうだなぁ」
やっているうちに勢いはついてしまうものなので、不可抗力といえばそれまでだが、実際テーブルに突っ込んだり、辺りを派手に乱してしまうことになったら気まずすぎる。
BGMを使う予定でいたが、機材をいじる余裕がないので無音で行うことに。



  • ム−ビー

ムービーも「多少心得があるから」くらいのノリで引き受けたが、せいぜいムービーメーカーのコマンドを一通り覚えて、画像もフリーソフトで切った貼ったができる程度のスキル。ニコ動だって見る専。しかもネタの素質もないと来ている。どの口で「やれるよー」とほざいた。この口か。切り裂いてやるっ!
二次会会場ではプロジェクタを使って流すとのことで、PCを使ったほうが何かとよかろうという話になった。持ち運び可能なノートPCの持ち合わせがなかったので、父方の祖父のノートPCを借り受けることにした。
素材は集めに散々時間をかけた割に、作り出しは遅く、本番の一週間前。
自分の性格上いつものこととは言え、この滑り出しは流石に遅かった。しかも、手をつけた段階では、全体の構想すらちゃんと決まっていない状態での見切り発車だったのだから、これもいつものこととは言え「この阿呆!」と自分のことながら罵りたい気分に駆られる。
作っていく中で、「オープニングを作ろう」「メインは、ロナウジーニョ*1宗道臣*2の掛け合いで、部活の時の写真を中心に覆面座談会(全部俺)にしよう」「プロジェクトX風に、自虐ネタでオチをつけよう」という全体の構成が漸く(自分自身に)見え始め、帰宅後に休み中にシコシコシコシコ作り続けた。本番一週間前の平均睡眠時間は3時間程度だったと思う。それでも、「…あれ?このままのペースじゃ終わんなくね?」という製作速度だった。つまり、思った以上に時間がかかっていた。この手のものは、それこそ凝り出せばいくらでも凝れるのだ(ツールにあまり関係なく)。
本番2日前、前日のハンドベル練習、演武練習にも食い込ませて作り続け、前日はししゃもの家に泊まりこみ*3、原因不明の頭痛に悩まされながらも、睡眠時間1時間で制作に没頭した。
「ヤベー。終わんのか?終わんねーのか?」と自分でも焦りまくりながらの作業であった。こういうことを言うと本職に怒られるだろうが、「納期に追われる」という仕事の感覚が、少し分かった体験だったと思う。職業にしている人も大変だろうが、こちらも友情と信頼がかかっているので焦燥に関してはかなりのものがあった。
結局ムービーが完成したのは、結婚式当日。ししゃも宅を飛び出す数分前に仮組が完成し、ムービーメーカーにぶち込んで作成コマンドをピッ。駅に走る間、電車に揺られる間も、バッテリー頼みのPCは作業を続け、ムービーが吐き出されたのは山手線に乗り換える直前という慌しさであった。




このハンドベルも、すったもんだはなかったものの、「アイディア出ねー*4」という中で、他からアイディアの出てこないことや、参加や連絡へのレスポンスの悪さにししゃもがイライラし出し、なかば窮余の一策として出されて、「それにするか(他にいいアイディアもないし)」という認識の下で決定された。gdgdもいいところだ。
ハンドベルは、介護施設勤務のたろすけが調達。アメージンググレイスと真夏の夜の夢の楽譜を用意したのは俺。それを、「この楽譜通りだと複雑で、練習も少ないのに本番成功させるのは至難」と判断したよんささの手でアレンジが為された。
一度も練習に出ることのできなかったじぃは、前説を。A治は指揮を。M山は、黄色腹巻プロデュースで前座を務めることになった。

*1:OKDは元々サッカー部出身

*2:少林寺拳法開祖

*3:これは事前の予定通りで、秋田から上京したじぃも泊まることになっていた

*4:同期全員結婚式参加経験が少ない