インド 11月19日 その3

また15分くらいテクテク歩き回る。というか、あんまりウロウロすると山田FBの元に戻れなくなるので、(同じ道を往復というのは大嫌いなのだが)今来たばかりの一本道をキョロキョロ見回しながら後戻り。
ようやく開いている銀行を見つけて飛び込む。
「13$両替したいんだけど」
当面いくらぐらい必要か見当が付かなかったので、とりあえず財布に入っていた端数のドルを両替しようとしたら、失笑される。
ネパールルピーを手に入れて、山田FBの待機している場所までダッシュ
再びバススタンドのチケットオフィスまで戻る。
「ミニバスなら6時間で行く。(ガイドブックに載っている)マイクロバスは、今日はもう終わった」
との返事。
2人分、550ルピーを払ってチケットを手に入れ、バスへ乗り込んだ。運転席のすぐ後ろの席に腰を下ろし、一息つく。
すると後からやってきた乗客が、
「そこの座席番号は俺のチケットの席だから、代われ」
という。山田FBがすかさず反論、
「俺たちのチケットの席はここだ」
後でこっそりチケットを確認したら、その乗客と俺たちの席は確かに逆だった。
そしてバスが出発…しない。出発予定時間を30分ほど過ぎた頃、チケットのダブルブッキングで、乗客と車掌の口論が始まる。そしてそれがいつまで経っても終わらない。
バトルは30分続き、10時出発のはずが、11時になってようやく出発となった。
山裾を縫うように続く道路を、バスは喘ぎながら這い上がっていく。荷物の量も人の多さも、明らかに加重積載だしな…。
当時は毛派、いわゆるマオイストと呼ばれる共産武装組織が地方で活動していた時期で、途中何回も検問が実施された。政府軍兵士が本物の自動小銃を肩からぶら下げてバスに乗り込み、臨検する。やはり本物の兵士が、本物の人殺しの道具を身につけて迫ってくると言うのは、理屈ではない迫力があった。
俺たちは旅行者だからパスポート提示くらいで済んだが、乗客は全員下車させられ、検問所を迂回して暫く歩かされ、それからまたバスに乗るのである。地方では爆弾テロなども発生していた時期であり、まだ王政廃止もそう取り沙汰されておらず、毛派は摘発対象だったことを考えると、今のネパールの状況変化は劇的だなと思う。




しかし、ネパール側に入ってから驚くことばかりだ。



道路が舗装されている。



バイクの3人乗りがいない。(あとちゃんとヘルメットをかぶっている)


車にサイドミラーが付いている。(あと曲がるときにウィンカーを出す)




同じような地域でも、ちょっと寒さが加わるだけで人間こうも変化するモノなのか…と驚かされた。
上ったり下ったりを繰り返すこと約8時間。日もとっぷり暮れ、当然街灯などない道を、ヘッドライト一つを頼りに、バスは爆走する。
山肌に張り付くように、ポツンポツンと光っているのは、家の明かりだ。空と山との境も曖昧になるような闇の中で頭上を仰ぎ見れば、無数の星が煌めいている。
やがて、前方に街の灯が見えてくる。ああ、あれがカトマンズか。
バスから降りてタクシーを捉まえると、山田FBが前年宿泊していた「ダウンタウン」へ向かう。宿に着いたときには、飲食店は軒並み閉まっていたので、夕食はパン屋で買った菓子パンになった。
安心する、ホッとする。
2日ぶりの風呂。2日ぶりの着替え。明日は家に連絡しなければ。
写真は、国境(ネパール側)で更に100ルピー毟られたので、さめざめと泣く俺。国境の門を背景に。