インド 11月20日 その1

基本的にこのインド旅行の話に関しては、当時暇のあるときに手帳に書き留めていた日記を基にしている。
三年経って未だ完結していないこの話であるが、それだけ期間が空いても、いやに詳細な描写が出てきたりするのは日記のおかげだ。
webで文章に書き起こすに当たって、日記を読んでみて、「あれ?こんなことあったっけ?」と記憶にはなかったことが書ける場合もあるし、「ああ、あったあった」と忘れていたことを思い出すこともできる。もちろん、記憶だけで鮮明に覚えていることもいろいろある。



まぁ、そんな感じ。




8時起床。旅も終盤だ。昨日のバス移動では、検問が頻繁にあって参った。
一部を残して乗客を降ろし、検問所を通り過ぎるまで歩かせる。この手のしつこいチェックが、少なくとも4回。
兵士がバスに乗り込んで荷物をチェックすること3回。車掌が対応するだけのチェックも5回以上。
カトマンズの市街にも、迷彩服を着た兵士が、警官と歩哨をしており、若干物々しい雰囲気だった。
山田FBが、前年カトマンズに来たときによく訪れたという「ロータス」へ食事に向かう。
日本人オーナーは、ウェーブのかかった白髪を一つにまとめ、豊かなヒゲを蓄えた好々爺だった。
なんと言っても、朝食が素晴らしい。オムレツがちゃんとオムレツなのだ。
いや、何を言ってるんだこいつは、と思うかも知れないが。なんの躊躇いもなく食える生野菜のサラダ、4枚ある上に、バターとジャムがデフォルトで付いてくるパン、半分に切ったバナナとチャイまで付いて70ルピーとは素晴らし過ぎる。
街を見ても、CD屋がマサラミュージックオンリーじゃない。飲食店の種類が豊富。商店のレジがコンピュータ管理。
ホテルを見ても、シャワールームはちゃんとお湯が出る。部屋は絨毯敷き。布団が柔らかい。そもそも部屋がきれい。




来る前に、山田FBが並べ立てていたネパールへの賞賛を散々小馬鹿にしていたが、考えを改めた。
悔い改めた。
ネパールは偉大だ。
ロータスはこの当時、自分たちが行った週で閉店して、向かいに建設中だったビルに移るという話であった。後に山田FBがネパールを三度訪問したときには、新店舗が無事稼働していたそうだ。






さて腹ごしらえも済んだので、宿に戻って作戦会議を行う。やるべきことはいくつかあって、まず帰りの航空券の手配である。
この当時自分はまだ大学5年生で、休学とかではなく、普通に学校をサボって旅行に来ていた。まぁ一般教養やら何やらの授業はともかくとして、必修のゼミの単位を出席日数不足で落とすことはできない。なので、この旅行も3週間と期間を決め、あらかじめそのことは山田FBとも決めてあった。
つまり、インドで旅行途中の山田FBと現地集合し、帰りもネパールから俺だけが先行して帰る、という行程を予定していたのである。往復のチケットの期限は約3ヶ月で、帰路分はバンコク−成田間しかない。カトマンズバンコク間の航空券は自分で手配しなければならないのだ。
山田FBは「旅の集大成」としてか、基本的に助け船を出さないと決めたらしい。時たまアドバイスをくれるのみである。こうなると、今まで主体性とやらを人に丸投げした生き方の人間は辛い。人目が気になる自意識過剰野郎だから、余計に辛い。
1軒目の旅行代理店で、チケット料金の大体の当たりを付け、1人で2〜3軒回ってみる。
最安のエアネパールのチケット代金は、どこも195$ラインで変わらないようだ。1軒、「トモダチプライスで190$」と言ってきた店があったが、簡単にトモダチとかフレンドとか口を突く輩は信用できないので、結局1件目の代理店でチケットゲッツ。
チケット入手の前に、リコンファームのため日本の旅行代理店に電話したら、土日休み…。
カトマンズバンコク間のチケットを買った代理店で、エアインディアのカトマンズ代理店の電話番号を入手できたので電話。
と、この時点でリコンファームのことをよく知らなかったことや、その仕方がそもそも分からなかったこと、相手が(当然)英語だったこと、コミュ手段が音声しかないこと、などの理由から会話が全然かみ合わない。というか、相手が何言ってるのかもよく分からない。どうやらノープロブレムらしいが…。