インド 11月6日

「このチケットの列車が来るのは、何番ホーム?」
たったこれだけのことが、英語でもスラスラ出てこないなんて。海外に出た日本人の大多数が、圧倒的に痛感するであろうことを繰り返す不毛。
案の定、文法の滅茶苦茶な英語は、理解するのが難しいらしい。
カイゼル髭のレールウェイポリスは、杖を握ったまま小首を傾げる。
「ん〜…タージエクスプレスか?」
チケットを出した時点で、言いたいことの半分くらいは伝わったらしい。
「Yes」
「5番ホームだ」
「ありがとう」
やがて、真っ青な列車が、5番ホームに滑り込んできた。
行き先と、列車名は、列車の中程にかかっているプレートで確かめることができる。「Taji Express」と。確かにこれだ。
等級はCC。日本の列車の等級は、大抵自由席かグリーン車かの違いしかないが、インドの列車は7〜8の等級に分かれる。
CCは、下から3番目くらい。一番低い2等車は、インド人が多く、ガイドブックにも、インドの一般大衆と触れ合うにはこれに乗らなきゃ、ということが書いてあったが、「いきなり2等車に乗るのは辛いだろ」という山田FBの温情により、CCに乗ることが決定した次第。
CCは、いわゆるボックス席が1つの車両に10〜15ほど配置された車両だ。日本の列車と、大まかな作り自体は大して変わらない。
1席3人掛け、1ボックス6人掛けの席の、窓側だった。トイレに行くには不便だが、外を見るには絶好の場所だ。膀胱の耐久力は人並みのつもりなので、トイレの心配はない。
このボックスのメンツは、インド人がいなかった。東洋人が自分1人なのはともかく、周りが全て欧米人なのだ。これは意外だった。
15分遅れで、列車は動き出した。
沿線の光景と、正面に座る欧米人の兄ちゃんの、これでもかと言うほど立派なケツアゴを交互に眺めながら、漠然と考える。
街に延々と広がる、スラムとゴミ捨て場。この2つに埋もれた国に、果たして「近代化」は訪れるのか?
「田舎」や「地方」が消える、という意味での「近代化」ではなく、全てが「きちんと」する、あるいは「必要最低限の電化製品が、家庭に行き渡る」であるとか、福祉は(いかなる矛盾や無駄が、多寡に関わらずあるにせよ)きちんと考えられているか、中間層が国民の大部分を占める、とか、そういう意味での「近代化」は。
どうだろう。
20年以上前に中国に行った祖父は、帰ってきてから土産話をしたときに、中国もまた、同じような状況であったと、懐かしげに語った。カトマンズの空港で会ったオジサンも、中国や、イスラエルや、エジプトも、どこも「そういう所」に行けば、同じような物である、と言った。
さて、インドは?
どうだろうか。多くの「汚いモノ」や「弱いモノ」を救い上げ、押し上げ、あるいは潰し、消し去り、隠して、「発展形」であるとされる「近代化」を成し遂げることができるのだろうか。




アーグラーに到着し、押し寄せる客引きとリクシャ運転手を振り切って、テクテク歩いていく。
途中で声をかけてきたサイクルリクシャのオッサンと交渉し、タージ・マハールまでRs20で行くことに。
だがこのオッサン、リクシャが悪いのか、はたまたオッサンの脚力が弱いのか、それともスタミナが異常に無いのか、始終ゆっくり走っていく。こっちも急ぐわけじゃないので何も言わなかったが、2人乗りのリクシャに、抜かれること抜かれること。

で、タージ・マハールムガル帝国、5代目皇帝、シャー・ジャハーンが、ラブラブだった奥さんのために、国が傾くほどの財を注ぎ込んで完成させた世界一立派なお墓の1つ。