インド 11月11日

ゴードウリヤーに入る手前の十字路で、リクシャは止まった。後は降りて歩けという。
金を渡してリクシャと別れると、同じようにガンガーへ向かうらしい、欧米人ツアー客の後ろについた。
「結構歩くの?」
「いや、そんなには」
物乞いが、順番待ちをするように、整然と1列を成している。コップや皿や笊を無視して、石畳の階段を下りた。花売りとボート漕ぎの客引きをあしらうと、川辺に降り立った。
ガンジス河。
インドの、もっともインド的な部分である、と認識されている、聖なる汚い河だ。

暫く、黙りこくったまま、朱に染まる対岸の空を凝視し続けた。
感動で言葉が出ない…というよりは、何となくその「場の雰囲気」が、ペラペラ喋るのに似つかわしくないんじゃないか、と思ったのだ。
別の理由を上げるなら、雰囲気を作ってカッコ付けてみた、と言っても良い。インドの、その中でもガンガーという、宗教上の意味を否応なく考えさせる、日本人にとっての「神秘的な場所」あるいは、「何かを感じる場所」「感動する場所」「感銘を受ける場所」なるイメージに合わせてみた、と言った所だ。
こういう場所で何かを感じるには、少々諦観が過ぎたのかもしれない。唯物的に物を見過ぎているのかもしれない。もしくは、心を麻痺させて無感動を装っているのでは?
「デカいでしょ」
「…デカいねぇ」
雨季になれば、川幅は1km以上に達するだろう。そもそも、石畳を降りる手前が雨季の水位なのだ。これでも、水位が下がっていて、川幅も狭い状態だという。
「汚いでしょ」
「…………………汚い…ねぇ」
ガイドブックによれば、ガンガーにはヴァラナシを始め、沿岸都市の生活排水や、完全に燃焼させていない死体がバンバン流れ込むせいで、(確か)1㎥当たり数万の大腸菌がおり、ヴァラナシ市当局はより燃焼効率を高めた炉を整備したが、電力不足で稼動しないことが多々あり云々。
岸辺は泥状で、ゴミや花が打ち上げられている。水も濁っていて、とてもこれで沐浴する気にはなれない。
宿を、去年山田FBが泊まったオムレストハウスに取ることに。
ただし、満室でチェックインできるのは12時とのこと。
荷物を預けて、モナリザに朝食を食べに行こう。