夏休み子供電話相談に思うこと

TBSラジオでは季節を問わず行われているようだが、根っからのNHKラジオっ子である身にとっては、夏休みの子供電話相談こそが、真の「子供相談」である。
と、大上段からぶった切ってみた。「子供」電話相談と銘打たれているせいで、体だけ成長してしまった半人前が質問することはもはや叶わないのですが、たまーにふと疑問が沸くと「こんなときに気軽に聞ければ便利なのになぁ」と思ったり。まぁ、そんな疑問は大抵すぐ忘れるからいいけど。



電話相談が始まる前に出勤しなければいけないので、きちんと聞く機会はなかなかない。あらかじめ用意した原稿を読んでいるような子、隣にお母さんが控えているらしい子など、いろいろな子どもがいるが、知的水準*1の差ってのは、ただの個人差なのかなぁ、と思う。
もちろん、その子の生来持つ能力、そこまで受けてきた学校での教育、家庭での教育、等等。類型化できないだけの無数の原因が絡み合っているのだろうけれど。
小学5年生と言っていた子が、「この説明は(わが身を小学生レベルに置き換えても)割と分かるな」という回答をなかなか理解できなかったり、そもそも喋り方にその辺りの差が顕著に現れているように思う。小学2年生が驚くほどハキハキ受け答えをしているかと思えば、逆に高学年の子がてんで舌っ足らずの話し方しかできなかったりする。
もちろん、小学生のときにどの程度頭が良いかなんてのは、もっと長いスパンで見れば何の意味も持たない場合の方が多いのだが。
人間は、ただ生まれただけでは、生来の知能水準が高かろうが低かろうが、その他の獣と大して変わりない。そこに「人間らしさ」であるとか「高水準の知能」であるとか、人間を人間足らしめる要素を加えるのが、「親」であり「教師」であり「社会」であり、それらが施す「教育」。
一概には言えないと分かっちゃいるが、良い意味でも悪い意味でもなく「みんなちゃんとした教育を受けられるといいなぁ」と願う。
その教育をどう受け止めて、どういう人間になっていくかは、また全然別の話。オチ無し。

*1:他に良い言い方がありそうだが、今のところこれくらいしか適語を思い付かない