自転車 8月5日

この日の宿泊予定は北上市。4日連続の120km走になる。
前回までの反省を生かして、6時に出発。もう少し日をずらせれば、七夕見れたのに…が、そうすると今度はホテルに泊まれない。むしろ絶妙にタイミングを外せたと言える。

飾り付けも見られたし。
さて、仙台のもう1つの見所と言えば、伊達政宗公の銅像が立つ青葉城址。…その前に正宗の墓にも行ったのだが、朝早過ぎてお寺が開いてなかった。
青葉城広瀬川を天然の掘割として、仙台市街を見下ろす高台にある。東北大学のキャンパスの一部にもなっており、その敷地は広大…だが、自転車乗りにとってこの際問題なのは、面積より高低差だ。坂道登りたくねー。だが、折角ここまで来たんだし。
広瀬川を渡ると、すぐに上り坂となる。城郭に至るまでの道は、敵の侵入を少しでも阻止するように、急勾配で曲りくねっている。初めて自転車を降り、押しながら歩いた。この角度を上がるのは正直無理だ。蛇行して登ろうにも、なぜか車の通りが多く、それも叶わない。
息を切らしながら城跡に上がると、日光が鋭く目を射た。

「仙台」と言うと、その象徴のように視覚効果として使われるのが、伊達政宗像ではあるまいか。幸い像は東向きに立っており、朝日を気にせずきれいに撮ることができた。
すぐ近くには、築城当時の石垣

と、改築後の石垣

のサンプルが置かれている。
朝食のアンパンをコーヒー牛乳とアクエリで流し込み、地図を確認して出発。
既に時計は7時を回って…教訓が全然生かされてない。
相変わらず4号線と心中。ここからは2度目の道なので、あまり記憶にある光景が少ない。向かい風がかなり強く、進むのにも一苦労する。つーか今日一日向かい風だったら嫌だなぁ。





出発して2日後くらいに気付いたが、前輪の車軸と車輪に、正常な状態なら存在しない「遊び」がある。
これのせいで、走るのに余計な力がいる。走行中に車軸から車輪がずれて、ブレーキに当たるわ減速が早いわ。
これまではサイクルショップでメンテナンスしてもらってから出かけていたのだが、金がないせいでそのままうっちゃっておいたらこの様だ。
幸い後輪はまともだが、見切り発車に躊躇いのないの自分の性格を、今回ばかりは呪った。






築館を過ぎると、全く未知の領域に入る。9年前は、ここから日本海側に抜けた。地獄だった。
今回のルートは、地図上で見ればそこまでの高低差はない。が、未知の領域は常に不安だ。
案の定、岩手県境は緩やかな上り仕様になっていた。
ある「領域」の「境界」が定められたのは、今のような時速100km強で移動できる乗り物が、民衆に広く普及するようになる遥かに前である。それまで、人の移動は徒歩、もしくは馬に頼るしかなかった。移動の障害になるのが「自然」、特に「川」や「山並・稜線」である。人間の住む領域は、歴史上何度も軍事力によって併合と分離を繰り返してきたが、その軍事力さえ黙らせる力を持つのが、これら「自然の境界線」、はっきり目に見えて、第一それを越えて移動するのに多大な労力を要する場所である。
もし今この境界線を作り直す*1とすれば、日本地図は大きく書き換えられるはずだ。
要は、時の指導者に「領土は広げたいけど、ここ越えてくの面倒くせーな」と思わせる場所が、昔からの「境界線」、つまり「国境」、廃藩置県後は今の「県境」となっているわけで。
などと意味のないことを延々と考えながら、上り坂をえっちらおっちら上がるためにひたすらペダルを踏む。考えて、そんな結論に思い至ったところで、結局この「自然の境界線」を「面倒くせーけど、越えなきゃ行けねーしな」と割り切って進まなくてはならない。
県境手前のマックスバリューで昼食をとる。
「どっから来たの?」
福島を過ぎると、こうして休憩中声をかけてくれる物好きな人が必ず一人はいる。自転車での旅行者は珍しいのだろう。注意を引くのは*2好きだから、この手の問いかけには自然と愛想よく答える。
出発地にひとしきり感心すると、「ここをまっすぐ行くと、温泉があるのよ。疲れ取れるわ」と教えてくれた。
…日焼けが痛くて湯に漬かれないから、教えてもらってもなー。

当初の予定では太平洋側を走ってリアス式海岸を眺める予定だったが、結局内陸部を通っていくことに。
普段は余計な観光は一切しないで「予定通りに走る」ことを優先させるのだが、平泉という地名を見て考え直した。
これに引っかかってワクワクするのは、多少なりとも日本史が好きな人間なら仕方がないと思う。
平泉は奥州藤原氏が、中世にその勢力を誇っていた地で、近年は大河ドラマ義経」でその名も少しは馴染みのあるものになっているとは思う。まぁ現在の平泉はただの田舎町だが。
山の中腹にある中尊寺、その見所は、なんといっても全面に金箔を施した金色堂だ。中尊寺は火災に見舞われており、創建当時から現存する遺物は金色堂だけである。
なんのかんので1時間余りも見学してしまった。見学自体の時間より、金色堂中尊寺までの移動に時間を長く取られたような気がする。
北上に着いたのは、またしても6時過ぎ。しかも、この日が北上芸能祭の初日で、駅までの道が交通規制されていた。一本裏の道を抜けて駅に着くと、案の定、総合案内は店じまい。駅前交番で、カプセルホテルの場所を聞く。

カプセルホテルも、北に進むに従ってだんだんひどくなっていくようだ。火事が起きたら、逃げられずに焼死だろうなぁ、と思うような構図になっている。
最初からカプセルホテル用に作られたわけではなく、元は違う店舗だった建物の中にカプセルをデンと並べたような。風呂はコインシャワーで、クーラーは旧式の物がむらのある冷やし方をする。
3000円で泊まれるならよしとするか…。
4日目、終了。

*1:例えば、産業上あるいは行政上便利なようにその境界線を引き直す

*2:悪い意味でないなら