前エントリからの続き。根津公子先生のこと。

で、中学校の頃の家庭科は、根津先生に教わっていた。今現在の自身の主義主張に関しては、中道を右左小刻みに揺れている感じで、なおかつ今は若干右寄りかなと思う。*1だから、先生の活動に関しては批判的ではある。ここであえて「先生」と付けるのも、まぁ仮にも当時教師−生徒、と言う関係だったしねと言うくらいの意味だ。
授業においては、一般的な家庭科教育、と言う意味においては、うどんを作ったのを覚えている。ビニール袋に生地を入れて、手で捏ねて足で踏んで捏ねて、と。
あるいは、家庭科の枠内で社会的な授業を行ってもいた。洗剤に有機リンが含まれていたとか、主に環境汚染や、公害問題などでの、国、あるいは企業の行為や対応の批判が多かったように思う。
確かに、個人、組織に限らず、都合の悪いことは隠蔽されることが多いし、その結果人の命だって失いかねない事態にもなることがあるのを考えれば、こういった立場からの視点を養うことも大切であろう。
…先生が今日明るみに出ている、中国の環境汚染や、輸出品に対して、彼の国を批判するような言動をしたとは、寡聞にして聞かないが。
その中で、化学調味料がどういうものか、と言う授業があった。味の素をそのまま舐めて、エラい目にあった。つまり不快なもの→体に良くない物、という条件付けの中で化学調味料を認識した瞬間で、これはまぁこれでいい経験になった。
母親は、元来加工食品や、冷凍食品や、化学調味料や、大別すると「口に届くまでに誰かのいじったもの」を嫌う人なので、弁当にはついぞ冷凍食品が入っていた覚えはないし、野菜は父親が畑で作ったものを積極的に使っていた。
まぁ、それもそれでありだなと思う。身内贔屓かもしれないが、過剰にエコロなわけでもないとも思う。






色々書いてると長くなるので、今回言いたいことの要点だけまとめると、自分の主張を通すのに、公僕である教員が、自らの教科外の範囲を、自分の教科の授業でやったり*2、卒業式に国旗を引き摺り下ろして騒動を起こしたりすんのはお止めなさいと。
中学生は思春期・反抗期を迎える時期と言うこともあって、とかく大きな力*3への抵抗に惹かれる傾向がある。
この分別も知識も教養も半端な人間に、無批判な歴史教育*4施し、現在の学校教育=国の教育施政=悪という観念を植え付ける。確かにそれに同調する生徒もいるだろうけれど、果たしてその生徒等が、ただ反抗期の勢いのままに、体制に対する反逆、あるいは抵抗と言う流れの尻馬に乗っているだけではないと、どう証明できるのか?

*1:ノンポリかと言われると、それが一番近いかな…

*2:いわゆる「自虐史観」に基づいた、「日本はアジアの国にこんなひどいことをした」的な授業を、家庭科の授業中に行う。やるなら歴史の授業でやれ

*3:例えば親であるとか、学校・教師であるとか。何かしら超克すべき物。これ自体は必要なことだけどね

*4:その結論が導かれるに至った過程を教えもせずに