運動について色々考えてみた。

運動が嫌いである。
身も蓋も無いことを言うと、そこから後の話が続かなくなる。が、無理して続けよう。
運動は昔から嫌いで、それとは対照的に、父親は運動が好きであった。学生時代は青梅マラソン、子供が生まれてからも、河口湖マラソンに夫婦で参加したり、仕事から早く帰ってくれば、「ちょっとランニングに…」くらいは朝飯前で、たまに自分も連れ出された覚えがある。
後に聞いてみると、「無理矢理やらせたわけじゃない」との答えが返ってくるが、少なくともランニングに関しては6:4くらいの割合で半ば無理矢理だった、というのが自分の中のイメージだ。
しかしいいこともあって、今でもそれなりのフォームでキャッチボールが出来たりするのは、そういった幼少時の運動が糧になっているからだと思う。あとは、相撲とか、バトミントンとか。
正確には「運動」と呼べないかもしれないが、小学生の頃は、学童から帰って両親が帰るのを待つ間、ブロック塀に向かって、野球ボールやサッカーボールの壁当てを、延々辺りが薄暗くなって、夜の帳に街灯の明りが、スポットライトのように俺を照らし出しても、その光を頼りにまだ壁当てをやって…という思い出もある。
どうも昔から頭脳派というか、大人びた自分を売りにしていたところがあって、そのせいもあると思う。今分析してみれば、小3くらいから*1ちょっとコロコロ太ったりしたので、それこから生じるコンプレックスへの逃避に走ったのかもしれない。例えば、保育園の頃はクラスでも駆けっこが得意*2だったのに、小学校に入って初めて、もっと広い世界があって、その世界には自分より強いやつも運動が得意なやつもいっぱいいるのを知って、いつの間にか太って、ますます運動が得意なやつと差が開いて…みたいなまさに負のスパイラル。
なんだかんだで典型的根暗中高生の生活を送りつつ、大学で180度趣を変えて、体育会の部活に入って一応4年間務め上げた。
「弱い者でもできる」のが護身術なので、少林寺拳法も一般の支部だとなかなか筋力トレーニングまではやらないと思うが、大学少林寺は一般支部とはまた違ったコミュニティな上に、うちの大学はOBの影響が強いので、根性育てるのがメインの筋トレはゴリゴリ。
それでも、今まで中高で手を抜いてた分の運動はやったと思うし、4年間で体の構成も大分変化したと思う。高校の頃は懸垂一回も出来なかったしなぁ…。でも今も懸垂は苦手。





そんな自分もいつの間にか20代中盤に差し掛かり、今までは新陳代謝やら通学路の行き帰りを自転車で行ってたことやら、大学で部活やってたことやらで、無計画に飲み食いしても、決して63kgを上回らなかった体重が、昨年はそんな先入観を見事に叩き壊して、67kgまでピザったのは、前年のエントリで書いた通り。なんだかんだ、バイトの行き帰りを走ったり、歩いたり、気が剥いたときに筋トレしたり、炭水化物をちょっと少なくしたり、間食を控えたりしていたら、春から夏にかけて61kgまで戻すことが出来た。
また良くないのがそこからで、頑張って減量を続ければパンツラインの上に乗っかっているお肉も取れて、59kgくらいのスリム体型を手に入れられたはず…であったのが、「飽きた」のと「諦めた」のとで減量への熱意も徐々に冷めていき、また間食が増えたり、油もバンバン取ったり、電車使ったり車使ったりしているうちに、いつの間にかまた67kgに逆戻り。
これじゃいかんと、また再び減量に挑戦…しているわけだが、去年と比べても熱意は↓なので果たしてどうなることやら。現在65kg前後をウロウロ。鳩胸がちょっとダルンとしてきたら、さすがに自分でも真剣にヤバいと思い始めた。
普通に食っていても体重を維持できない人間もいれば、食った分だけすぐ肉になる人間もいる、自分は明らかに後者の方で、体重を落とすにも、自分で「まぁ、こんなもんだろう」と思っているモノの、最低でも2倍運動しないと順調に増えた分の肉がエネルギーに変わっていかない。天変地異が起こったときに生き延びるには良さそうだが、さし当たってそんな事態も起きていないので、こんな体質は宝の持ち腐れだ。







運動嫌いが自主的に運動やるには、何やかやと自分を発奮させる材料が必要になる。自分の場合もっとも効果的なのが、「暑さ」なのだと最近認識した。
暑くなると、頭も温まって気分がハイになる。勢いで何でも出来るような気になる。錯覚だが。
この暑さに乗せて走ったりすると、いい具合に脳が沸いて運動がそこまで苦だと感じなくなるのだ。部活の頃は、この方程式が良く聞いて、夏の暑さと、迸る汗の不快さと、練習の苦痛がない交ぜになって、辛くても乗り切ることが出来た。唯一苦労したのは北海道合宿のときで、拳立てで最も苦しんでいる時間に、涼やかな風が吹き込んできて、一気に正気に引き戻された。「い…痛い…」「…キツい…」と。

*1:ちょうど目が悪くなって、メガネをかけ始めた時期と重なる。自分の体の中で、なんか色々あったらしい。何か。

*2:だと思っていたが、実際にはもっと速い子はいた。で、それに負けて拗ねて泣いて集合写真でまだ後向いて泣いて母親に縋り付いて写っている写真があって、それを見る度に、ああ、今も根っこのところは何も変わっとらんな俺。と思うこと頻り。