昨今言われるコミュニケーションの変容は、果たして「否定されるべきもの」か「肯定されるべきもの」か

自転車で、あるいは車で、電車で、飛行機で、いわゆる「移動」の片手間に携帯を操作している人を良く見かける。
まぁ、それが法律にとかマナーにとか言う話はさて置くとして。
識者が電車内で携帯を操作する人が多いのを例に取り、曰く「異様な光景」とかのたまうコラムなどもたまに目にする。
携帯が普及する以前から、電車内で、スポーツ新聞を読み、本を読み、周囲に迷惑のかからない声で話す、ということはごく普通に行われていたはずで、電車に乗ったそばから見知らぬ人間が和気藹々と世間話に花を咲かせる、なんてのはド田舎の顔見知り同士でもない限りまずありえない光景だろう。
携帯で、web版の新聞は読める、携帯小説というものもある、メールは今現在空間を共にしない知人とのコミュニケーションである。携帯に変わったのを例に、押し黙ってそれを操作する様を「異様」だと論じるのだとすれば、さてそう論じる人たちの「電車内の普通の光景」あるいは「乗客同士のあるべき姿」はどういうものなのか知らん?





ああ、書いてるうちにエントリタイトルと別の話になったけど、反省はしていない。