だが僕は、そこに完璧な答えを求める。

左翼的な人々が、日本において反戦を叫ぶ時、あるいは金科玉条のごとき扱いの憲法九条を更に聖域化しようとする時、学生時代に左翼的な教育を受けてきた身にとっても、そこにある一定の違和感、気持ち悪さを感じるのは、「ではなぜ、『戦争』は、いまだに世界で発生し続けるのか」「憲法九条を堅持するだけで、日本は平和でいられるのか?」という問いに対して、これを正面から論破するような回答がないからではないかと思う。
少なくとも反戦は、根底の哲学的な見地から新たに論じられるべきで、憲法九条に至っては、その哲学の一要素を構成しているに過ぎない。




とか言ってみたけど、この辺の議論の蓄積って、多分もう相当量にわたって積み重ねられてるんだろうなぁ。
まぁ、思ってみたことを言ってみたかっただけで。