或ル現実デ感ジラレル死

病院に勤めて一年とちょっとで、何件かの人の死に立ち会った。
大抵は出勤直後に「誰がヤバそうだ」というのを聞くのだが、二三度、こっちが全くノーマーク*1の人が亡くなることもあった。朝顔を拭いて、その30分後にとか。ビックリする。





ICUで作業をしていた。
そのおばあさんは入院当初から意識もうつろで、辛うじて声掛けに反応するくらい。毎日のように娘が、そして旦那が見舞いに来ていた。大部屋からICUに移ってからも、ずっと。
娘が、彼女の顔を覗き込みながら、その白い髪を梳る。
「…お母さん、…大好きよ。大好き」
涙声で呼びかけるのを、もらい泣きしそうになりながら、俺は黙って聞いていた。
あー、俺は何にもできないんだなぁ、と思って。もちろん、自分の職務を全力でこなして、この最期の時を、少しでも苦痛なく過ごせるようにする責任が俺にはあったし、そうしていたつもりだ。
だが、彼女の死を、それに伴う別れを、そこから生じる悲しみを消す術が、俺にはないのだ。
誰にもありはしないのだ。






人に惜しまれる死は幸せである。と、傍目で見ていてそう感じる。看護学概論の授業、ちょっとしたゲームで、同級生にインタビューをした。
「臨終のときに、かけてもらいたい言葉は?」
みんな女性で、漏れなく「ありがとう」だった。いいなぁ、と素直に思った。
自分がそれに憧れたわけではない。
俺はまだ、人から感謝されるに足りる行為なんて、何一つしちゃいない。そんな人生を、一秒だって送ってはいない。仮にそう言われても、俺自身が納得できないし、そんな言葉を掛けてほしくない。
意味が欲しい。真理として、そんなものがあるとかないとか、そういう話じゃあない。
別に、「意味」なんて無くたっていい。
ただ誰かに、「お前の人生には、意味があったよ。お前、生きていて良かったんだよ」と。
そう認めてもらいたいのだ。

*1:看護師は知っていた。ただICUじゃなかったので、俺が油断していた。