山が厳しい分、三歩は優しくなる。  「岳」

マンガ大賞を受賞していたから…という購入理由にすると、最近(俺の中だけで)流行のNBP(ナチュラル・ボーン・パワー)信奉者としては少々抵抗がある…が、直接の理由は間違いなくそれだしな。

※ネタバレとかあるので、それが嫌な人は注意。



岳が面白い。北アルプスが舞台の、山岳遭難者の救助をテーマにした漫画だ。連載誌はビックコミックオリジナルと、これまた渋い。
大学時代の、少林寺拳法部の同期で、元主将であるところのJ主は高校の頃山岳部に所属していて、「山岳部にも、競技会っていうのがあってさ」という話を面白くしてくれたことがあった。
何十キロというフル装備を担いで、山の頂上まで走って、タイムを競うとか*1、尾根伝いに山を縦走するとか。

北アルプスで山岳救助のボランティアを行う三歩。彼は高校卒業後、放浪しながら世界各地の山に登り続けた登山者であり、海外でも山岳遭難者救助チームのリーダーになるほどの技術を持つクライマーである。
長野県警勤務の椎名久美、高校時代の山岳部同期・野田正人とともに、三歩は今日も山で助けを待つ人の元に走る。

遭難者達は、必ずしも生きているとは限らない。うっかり足を滑らせて、あるいは道を見失って、雪崩に巻き込まれて、簡単に命を落とす。その現実を、石塚真一は冷静に描く。
クライマー達はまだいい。彼らは、山の危険を認識し、自らの生が死と隣り合わせであることを承知の上で、山に挑む。自分の力の限界を振り絞り、トップを目指す。彼らは生きるべき時に生き、死すべきときに死んだのである。道半ばで倒れても、その死には一片の美しささえある。
だが、一般的な登山者は違う。山を楽しむために来た彼らやその家族は、突然の事故に対する覚悟はない。
まだ死ぬような歳でない人、死を覚悟して山に登っているわけではない人が、命を落とす。悲しいのはそういうときだ。
遭難者に対して山は常に厳しい。だから、三歩は、登山者に対して無条件に優しいのである。
三歩は山を愛し、山に来る人を愛している。山を自分自身のように感じているから、山に登ろうという人と出会うと嬉しい。
そんな三歩と、厳しくも美しい北アルプスに誘われて、ついつい「山登りがしたいなぁ」などと、今までそんな山に登ったこともない人間にまでそう思わせてしまうのが、本書の最大の魅力だろう。





三歩のスペックがまたすごい。身長187cm、体重80kg。確かにデカいことはデカいのだが、「最大積載量」が、好天時に大人2人or子供3人、つまり約120kgを担ぐことがてき、しかも作中の描写からすると、それを2時間かけて山の稜線上に背負っていくことができる。
…どんな馬力だ。それとも、現実の山岳救助チームも、こんなクライマーがゴロゴロいるんだろうか。




マンガ読み的な視点からいえば、各エピソードはほぼ一話完結型で、20P強のページ数という制約があるせいか、無駄なところが削ぎ落とされてサクサク読める。その分、一話ごとのボリュームがもう少しあれば、満腹になれるのに…と思うこともないわけではない。が、「腹八分目の美味しさ」というのが岳の魅力でもあると思う。そしてそのボリュームで、石塚真一は、読者の心理を見事に感動に持っていくことができる。





こっから下は、それぞれの巻ごとに紹介したいエピソードでも。



岳 (1) (ビッグコミックス)

岳 (1) (ビッグコミックス)

  • 第6歩 遠くの声

一人息子と一緒に遭難した父親の話。人間ってしぶといんだな、と思わせてくれる。あと母の愛は強い。
この話のもう一つのキモは、レギュラー登場人物となる、三歩のクライマー仲間・ザック(海外で三歩がリーダーを務めていた救助チームの元部下)の登場。
彼が三歩に、ヒマラヤで遭難死したクライマー仲間の遺書を届ける。

Dear Snpo.(三歩へ)
Summits with you.(お前と一緒に登った山)
Thanks!!(ありがとう)

山男の絆は肉親よりも濃いってのは、確かゴルゴに出てきたセリフだったかな?
言い尽くせぬ想いと感謝が、短い文面に込められている。もうこの場面を読むだけで、涙がこみ上げてくる。




岳 (2) (ビッグコミックス)

岳 (2) (ビッグコミックス)

  • 第1歩  クライマー

大学の登山部の2人を捜しに行く話。冒頭では既に数日が経過し、彼らの遺体を三歩と久美は探しにいっている。
この話で明らかになるのが、三歩の救助隊員としての能力の高さだ。
登攀中に滑落者を発見するのだが、その時の三歩の判断が凄まじく早い。

久美が、その姿を見て初めて「人?」と滑落者であることを確認する時、既に三歩は走り出している。
滑落者を救出した三歩は、遺体捜索を続行していた久美の「いました…」という無線で現場に急行する。動揺し、遺体を掘り出せない久美を落ち着かせ、2人を掘り出す三歩。
先輩は後輩を抱き締めて、守ろうと死ながら二人とも息絶えている。悲しい結果だが、2人とも「本物のクライマー」になったのだ。




岳 (3) (ビッグコミックス)

岳 (3) (ビッグコミックス)

  • 第2歩  警告

遭難者に対して、装備と意識の甘さを厳しく指摘する久美。
その帰路、今度は久美が一人で滑落し、左手首骨折、脇腹負傷、後頭部裂傷で動けなくなってしまう。
孤独と、不安に耐えながら涙する久美。遭難者と同じ立場になって初めて、どんな想いだったのかを知るという皮肉。この後に明確な描写はないが、久美の成長を促す一話。


  • 第3歩  オトコメシ

要救助者の家族が、複数話に渡って出てくることはほぼない岳だが、この回のナオタは6巻でも再登場している。
妻と離婚、あるいは死別した父親が比較的多い気がするのは、ビックコミックオリジナルの読者層のせいだろうか?
発見時には生きていたにも関わらず、容態が急変し、ナオタは動かなくなった父親と対面することになる。ナオタの背中に手を添える三歩は、どの回よりも無念さを噛み締めているように見える。




岳 4 (ビッグコミックス)

岳 4 (ビッグコミックス)

  • 第0歩  第1歩   択一

2件の滑落事故が、三歩のいる位置からどちらもほぼ等距離で発生する。現場に急行できるのは三歩一人。どちらにいっても、もう一方を切り捨てることになる。
のだが、三歩の行動論理は単純明快である。結果的に、一方の中年夫婦は助かり、もう一方の大学生は死亡する。「どうして俺達が後なんだ!!」と詰め寄るパートナーの大学生に、三歩は言う。

「最初の現場の方が近かったんだ。ここより150m近かったから先に…」

山で生死を分けるのは、ほんのちょっとした差なのだと、三歩は知っている。手持ちの情報で、あるいは手持ちの装備で、その時のベストを尽くさなければならない。そして限られた時間の中で、時に酷な判断を下さなければならない。迷っている暇などないのである。
でも、本当は、両方とも救いたかった。その三歩の気持ちに嘘がないからこそ、亡くなった人間も、ほんの僅かだが、報われるのではないだろうか。





岳 5 (ビッグコミックス)

岳 5 (ビッグコミックス)

  • 第6歩  第7歩   救命士

要救助者の下に向かい、昴エアレスキューのヘリを待つ久美。しかし、ヘリが到着したところで要救助者の容態が急変、死亡してしまう。
遺体を落とせという牧に対し、「私が降ろします」という久美。
これも酷な判断を迫らせられる回。昴エアーの牧は冷静過ぎて、久美と同じように俺もあまり好きではないのだが、かと言ってこのときの久美の行動が正解だったかというと「う〜ん」と思ってしまう。
時間がかかっても遺体を傷付けずに降ろすのか、家族の下に一刻も速く届けるのか。
三歩の話を聞き、久美が立ち直り、また一歩成長するのが嬉しい。




岳 6 (ビッグコミックス)

岳 6 (ビッグコミックス)

  • 第2歩   旅立ち

結婚前の記念にと、登山に来た父と娘の話。二人は沢伝いに登山しようとするが、鉄砲水に遭って、急激な水流に孤立してしまう。

「もしも…もしも流される時は、父さんの腹に顔をうずめなさい」
「父さんに…しっかりつかまってなさい」

老いたりと言えど、父の強さと、娘を思う気持ちが胸を熱くさせる。


  • 第6歩  第7歩   ルート

三歩と正人の高校時代の恩師・稲葉先生の話。大規模な雪崩による遭難が発生し、三歩、正人、久美はその救出にかかりきりになる。
その作業中、稲葉が稜線から谷に滑落したという連絡を受けた三歩だが…。
「稲葉先生なら、絶対に大丈夫」だと信じる、元西高山岳部の絆が厚いのもさることながら、片腕が折れた状態で谷を脱出してやろうと、むしろワクワクしているような稲葉先生のガッツ、山馬鹿っぷりに感動する。






ところで各巻の帯に「三歩に『良く頑張った』って言われたい」という煽り文句が書かれているのだが、三歩にこのセリフを言われるということは、ほぼ遭難しているということと同義なので、俺はあんまり言われたくないなぁw。
今月末に7巻が出るということなので、楽しみー。

*1:チェックポイントを通過して、地図がきちんと読めているか、とか。うろ覚え