K-1 WORLD MAX 2008の勝敗予想と、K-1甲子園についてボソボソ。

予想の根拠はイメージ。半可通なライトユーザーのたわ言なので、当たるも八卦当たらぬも八卦、と予防線埋設終了。
興行の割合としては、MAXの本戦が準決勝2試合、決勝1試合の計3試合になったお陰で、MAX4割、K-1甲子園4割、60kg級2割、とバラエティに富む構成になった。これ自体は良し。



○ブアカーオ vs ブラックマンバ●
K-1にも総合にも出て便利屋的扱いのブラックマンバ。K-1用の練習は総合と平行してるんだろうけど、量的に大丈夫?
ブアカーオは前回のMAXを見る限りだと相当落ちてるが、高いレベルでの競技を望むなら復活してほしい人材。マンバ相手なら、後れを取ることもないと思うので。






○小比類巻 vs ユーリ・メス●
ユーリ・メスの力がよく分からない。佐藤が出てきたことで、対魔裟斗という目がなくなった小比類巻。改名効果で噛ませ犬を一蹴できるか。本戦ドロー、延長、再延長でgdgdを予想。






○サワー vs キシェンコ●
去年のトーナメントでは準決勝に進出。魔裟斗をグラつかせるなど、若手のホープとして期待のかかるキシェンコ。ゴン格ではサワーにとっても油断できない相手と評されていた。でも、まだサワーの相手じゃないと思うんだよなー。






魔裟斗 vs 佐藤嘉洋
今回の目玉。佐藤はブアカーオを撃破したのが自信になっているだろうし、勢いという点では上か。でも、トータルプレイヤーとしての完成度、K-1ルールでの強さでは圧倒的に魔裟斗が上回っており、順当な結果に落ち着くはず。






城戸康裕 vs クラウス○
城戸は去年の日本代表決定トーナメントで優勝したが、準々決勝でキシェンコに敗れており、MAXでの力は中堅前半レベル。世界王者クラスとの対戦だが、それを考えれば勝ちの目は少ない。






魔裟斗 vs サワー●
サワーはK-1の中でなら、2年前のトーナメント決勝でのブアカーオ戦以来無敗。魔裟斗にも2戦して2度とも勝利を収めている。しかし、ダメージの少ない状態(例えばワンマッチ、あるいはトーナメント初戦)で世界王者クラスと当たっておらず、トーナメントでの強さ(組み合わせの運含む)は折り紙付きだが、さて…。
魔裟斗は自分の要望で、1日3試合のトーナメントを2試合にしたのだから、勝って結果を見せてほしいところ。




むしろ書きたかったのはこっちで。
今月21日に放送された番組を見た。やはり技術的にはまだまだなので、必然的に試合よりも各個人のドラマに焦点が当てられた作りになっていた。
その中でも気になったのは、やはり中部地区代表の坪井悠介。肺の手術などを受け、診断書を持参して参戦、試合に勝利し、10月1日の準々決勝にも出場する。
いや、これはどう受け取られるか危険な賭けだと思うんだけどなぁ。番組では、エピソードの性格上「感動的な」話としての紹介だったが、「病を押しての出場」が、あの番組の作りで打ち消されたかどうか。
リング上を見つめる母親は生きた心地がしなかっただろうし、見ているこっちもそんな親の気持ちが伝わってきて、非常に痛々しかった。
格闘技が他のスポーツと違うのは、「必然的に」相手の急所を狙って、そこを攻撃する競技であることで、元を突き詰めると、「殺し合い」がその原点である。必然的に相手の弱いところを狙う。
だが。
興行化されて商業化されたものを、ものの見事に消費している俺が言うのもなんだが、まだ高校生の彼らに、そこまでのモノを背負わせるのは良いのか?許されるのか?
チェ・ホンマンは「脳下垂体に腫瘍があるから」という理由でベガス興行から降ろされたが、結局現在はリングに復帰している。これは彼が、

  • 成人しており、自らのことを自らで決定する権利を持つこと。
  • 試合をして対価を受け取る「プロの格闘家」であること。

の2点による。
腫瘍の除去手術を受けた彼が、頭部への意図的な加撃が多用される競技に復帰することが(世間的にも)許可され得るのは、この2点を前提とするからである。(あとは主戦場にする格闘技興行の運営母体の判断)
TBSとFEGは、興行の「甲子園」という位置づけ上、坪井の病を一種の美談としてストーリーの成立を図った。
しかし、坪井はまだ未成年であり、しかも「即入院」が必要な状態であった(少なくともディファで行われた甲子園の直前では)。
彼の存在は「未成年である」という点で完全に彼だけのモノではなく、地元の医師も明確にドクターストップの判断を下している。この2点(未成年&医師の判断)を前提としたとき、彼の「試合に出たい」という希望を入れてリングに上げたFEGの判断、そのストーリーに頼る番組作りをしたTBSの判断は、「彼の命のために出場を断念した方が良い」という世間一般の判断(あるいは良識)から大きく乖離しているし、K-1甲子園の普及、人気獲得に繋がるとは思えない。
自分自身は、K-1が好きだし、興行として発展していってもらいたい。若手発掘、若年層への競技普及という面から言っても、甲子園のコンセプトには賛成する。
だが、ここまで際どい、実際視聴者の賛否が分かれそうなケースを取り扱えるほど、甲子園に関わる人たちの意識が高いレベルで形成されているのか?
「万が一」、「重大な」、「事故」が起きてしまった場合、それは競技に殉じた崇高な(少なくとも傍目には)終わりではなく、商業化に後押しされた、後味の悪い、血塗られた結末と取られるのではないか。
そうなれば、「青春」「夢」「希望」という覆いは吹き飛ばされ、(その影響力から考えても)格闘技は競技、興行の両面で暗黒時代に入っていくのではないか。
だからこそK-1甲子園には、一点の曇りもない(例えそれが、若干ストーリー性や盛り上がりに欠けるモノだとしても)興行作りをしてほしい。