ネパール 11月20日 その3

里親である両親の元には、定期的に、里子の学校での様子を写した写真であるとか、成績表であるとか、日本語の手紙であるとかが送られてきていた。
そして、今回この旅を企画するにあたり、いともあっさりと、

「じゃあ、そろそろ里子の養育費を送らなくちゃいけなかったんだけど、あんたが行くならちょうどいいから、お金を納めて。手渡しで」

という指令が下されたのである。
…今こうやって書いていても思うが、どうかしている依頼だ。
そんなわけで、インド二週間、ネパール一週間というのは偶然でもなんでもなく、出発前からの決定事項だったのである。
俺だけの都合の。
付き合ってもらった山田FBには、ご苦労さん。すいません、付き合せちゃって。という話だ。




両親がネパールに旅行をした時には、母親の同僚で何度もネパールに旅行しているAさんと一緒で、里親の話もその人の紹介だったらしい。詳しい経緯は知らないが。
一応、実の親のものとはいえ、預かっている他人の金だ。おまけに、そのAさんの里子の分のお金まで預かっていた。
うちの親はまだいいとして、

「うちの子が今度インド方面に旅行するんで、ついでにネパールによって養育費を納めてもらうことになったから、良かったらついでに」
「では一つよろしく」

という流れになるAさんも中々の人物だと思う。万単位の金を預かる身としては、ここまで気の抜けない旅行が続いていた。
Aさんとはインド滞在中からメールで、また両親との電話を通じても連絡を取り、このお金の受け渡しだけでなく、ネパール入国ルートの相談にも乗ってもらったりしている。
その結果、まず、Aさんに里子を世話している組織の人に連絡してもらう。
ついで、その組織と関係が深いホテルに俺が出向き、ホテルから組織に連絡してもらって、責任者とアポイントメントを取る、という手筈が整えられた。
ホテルは、両親とAさんが旅行の際に使用した「ホテルマイホーム」。あらかじめAさんから教えてもらった情報を頼りにマイホームを探す。
目印として、出発前にもらった地図に書かれていた日本料理店「味のシルクロード」は、「おふくろの味」に改名していた。
マイホームは、ビルの奥まった場所にあった。フロントにいたロイトさんという人に頼んで、組織の責任者であるウッタムさんに連絡を取ってもらう。
明日の10時に、マイホームで会う、とアポイントを取る。
マイホームを後にしても、心の中は不安で満ちていた。インドにいた成果、若干人間不信になったようである。信用してもいいものかどうか?日本語ができる人間は特に、だ。






夕食は、日本料理屋「ふる里」で。
自分達以外にも、日本食を食べに来た日本人が何組かいた。
出てきた食事を頂く。「その完璧な日本食を食べる以外の目的で口が開くと、自動的にインドへの悪口とネパールへの賞賛しか出てこないロボット」に二人ともなってしまっていた。
揚げ出し豆腐が「サービス」され、味噌汁、ジャポニカ米のご飯が、15分程度の時間で提供されるのだ。チキンカレーを頼めば、鶏肉がないことを隠して1時間かけて市場に買いに行ったり、泥を水で溶いて「カレーだ」と偽ったりされることもない。*1
腹いっぱい食べて帰宿。
明日は、「初めてのおつかい、ネパール編」完結成る…か?
しかし、この里子の養育費手渡しの件、事情がよく分からないことを安請け合いするもんじゃないな、と、いざ受け渡しが目前に迫った今頃になって痛感した。こっちは、組織の責任者であるウッタム氏の顔も知らないのだ。

*1:後半はされてない