これは前々からの懸念でもある。

本当につい最近の話だが、クラスメイトの一人がココロを病み始めているという。
その告白を、直接本人から聞いた。もう一月くらい前からの話だそうだ。
いや、不覚にも(当然にもとも言えるが)全く気が付かなかったし、知らなかった。今日演習であまりに元気がない、というか無反応なので、さすがに(普段からクソ鈍感なhageだけれど)気になって何度か声をかけたら「実はね…」というオチ。
本人も「なりかけ」ということなので(具体的に言うと鬱)、努めて普通の調子で話してくれたが、やはりちょっとしたショックはあった。
その相談に、もう一人のクラスメイトが相談に乗っているらしい。というか、それは発症しかけている本人からも、相談されている方からも聞いた。これにも、質の違いはあるがちょっとショックを受けた。
その素質に、である。
相談されたやつは、同性で、同い年で、俺と境遇がある程度似通っている。生半可な話ではあるけれど、意識するつもりはないと言いながら、実は意識してしまうような、勝ち負けの話ではないけれど「ライバル」と見なしていると言うか、ああ歯切れが悪いw。
そいつは産業カウンセラーの資格を持っていて、心理学も一通り学んでいる。



…というのはあるにしても、そいつは「その人」の異変にどことなく気付いて、その人もそいつを「頼った」のである。いくぶんか理想論的な話になるが、看護師は「気付き」であるとか、他人を思いやるとか、ちょっとした患者の異変に気付くとか、そういうのも素養としてなければならない、というのは授業でも散々言われたし、俺自身もその通りだと思う。
そういう意味でいえば、彼にはその素養が(元々あるものか培ったものかはともかく、結果として)「あった」。
俺には「なかった」ということになる。
いや、こんなん勝ち負けじゃないんだけどさ。




もう少し「看護学生」というところから離れた位置から話せば、彼は気さくな人間で、人当たりも良いし、面倒見もそこそこある。スポーツもやっていて印象的にも爽やかだし、学生時代にも「頼れる」男であったというのは想像が付く。人との間にも、あまり壁を感じさせないし、思慮深くもある。(何だこの気持ち悪い持ち上げ方は。僻み?)で、相談事があれば断らない。
そういった、人間的な「器」の質やら大きさやらも、ついつい比較して考える。
もちろん学校の日々の勉強も、テストも、バイトもある中で、その人の話を一月あまり聞いて、いろいろ改善しようとした彼に、
「大変だったね」
と(別に他人事というわけじゃなく)声をかけた俺に、
「向こうの方が大変だから」
と、彼がサラッと言ってのけたのを聞いたとき。
「体はともかく、心は壊れたら簡単には治らないから」
と、その人の先を見た発言を聞いたとき、「(ああ、人間として負けた)」と心底思った。





人との適正な距離と言うものがうまくつかめない自分は、その自己愛の強さも関係して、一部の友人を除いてはほぼ「一定の距離」を杓子定規に保って交流を図ってきた。
そのくせ、人との濃い交わりに対する憧憬も併せ持っているのである。
だが、人はその「相手が保とうとする距離」というのを、結構鋭く感じとって見極める。結局(これは諦観とか、そういう負の位置からの見方じゃなく)人が信頼するのは、人との壁を意識させない、あるいは「自分を出す」、という人間で、最初からそこを閉じている人間が渇望したところで、望むような信頼関係は築けやしないのだ。





比較的シリアスにやったんで、特にオチは無い。