伊勢旅行に行って少々考えたこと。
まぁそんなに深く掘り下げられるほど知識はないし、深く掘り下げる努力をする気もないので、という予防線を一応張っておく。
- 神道の御本尊の侵略。
御本尊てそもそも仏教用語では?まぁいいか。
Wikipediaによれば、伊勢神宮は、
垂仁天皇(紀元前69年-70年)の皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をした。
倭姫命は倭国から丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に五十鈴宮と言う名で鎮座した。
皇族のお姫様が皇祖である神様をどこに安置すればいいか、近畿を中心にグルグル旅をして、最終的に伊勢に着きましたという話。
紀元前のこの頃といえば、畿内ですら大和朝廷に服従しない勢力が多々いたであろう時代で、このお姫様の旅も、自ら(大和朝廷)の権威の根拠となる神様を奉戴して、当然軍事力を誇示しつつ、地方の鎮撫の旅に赴いたのではないか。
っつーのも、天照大神のお食事係である豊受大御神の祀られた外宮には、風宮、多賀宮と並んで、土宮という、豊受大御神が祀られる前の、この土地の守護神の神社があった。風宮には、「級長津彦命(しなつひこのみこと)」「級長戸辺命(しなとべのみこと)」という特徴的な名前の神様がいるにも関わらず、その土宮に祀られた神様は「大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)」という、「適当に付けたにも程があるだろ!」と突っ込みたくなるような、味も素っ気もない名前である。
こういう土着神を自らの体系に組み込む大らかさは、神道の特徴であるともいわれているが…。この地の先住民を蔑ろにしないという、権力側の配慮でもあるのだろう。
この辺り、宗像教授異考録なんかで、親しみやすく解説されていそうだ。
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まぁ、この外宮の歴史を見る限り、度会神道辺りの影響なんかも含めて、複雑な「大人の事情」も存分に働いているようだ。
それにしても、この食事の神様がここに来た理由がなかなか振るっている。天照大御神曰く、
自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように。
要は、一人で飯を食うと不便だし寂しいから、誰か呼んできてー、という話である。人間臭いなぁ。
20年に一度、全ての建造物を新しくするという、まさに壮大な無駄遣いともいえる行事を、約1300年続けている伊勢神宮であるが、これが「神様のパワーを若々しく保つため」という宗教的な理由「だけ」であるなら、相当酔狂なもんだと思う。
一つには、伊勢を基盤とする勢力の既得権益だろう。
この式年遷宮に伴って使用される材木は、木曽に専用の山があって、そこから切り出してくるという話であるので、これについても木曽の木材を使う、何らかの理由があったんではなかろうか。
- シュールな光景。
さすがに写真には撮れなかったのだが、神道の門前町だというのに、托鉢のお坊さんが、あの炎天下にたたずんで鈴を鳴らしていた。
…大らか…といえばそうなんだろうけど、なんというか複雑な気持ちになってしまった。
画像は適当。webをあさって一番最初に見つかったヤツ。