二次ヲタの妄想(ゆめ)をくすぐる 「放課後プレイ」

ネット界隈では結構有名だったらしいが、そんな予備知識もないままに、書店で何気なく手に取って流し読みを始めたら、いつの間にかハァハァ息が荒くなっていたので、こんなところで通報されても詰まらん。第一、このゲーム4コマのふりをしてエロスを展開する、こんなけしからんマンガは、それこそ中世ヨーロッパなら磔刑の上火炙りのはずである。
ただ、そのまま火あぶりにしてしまうと、地球温暖化の叫ばれる昨今、「紙の無駄遣いはMOTTAINAI」というECO精神に…。



…死んでるギャグを拾っていても仕方ない。



目つきの悪いヘタレゲーマーな彼氏が、目つきの悪い黒タイツのゲーマーなツンデレ彼女に積極的に迫られるマンガ

物凄くざっくり説明したが、この内容でなんら問題はないと自負する。
電撃プレイステーションで連載されていたというが、いくら読者層が限定されるとはいえ、いちいち(二次元的)エロを示すものが、ドストレートにあり過ぎる。特にこの巻の最終話、これほんとに連載でやってたとしたら頭がおかしい。
だってなあ…見開きで、左のコマで下半身、右のコマで上半身を描いてるんだよ。…制服も脱がないままに絡み合う2人をさぁ!
単行本化に合わせて描き下ろしたんだ、と思いたい。もしくは、コンプティークとかでやれ。(偏見)
そして、次のコマで朝チュンですよ。ゴチソウサマデシタ。




自分の場合、ゲームはとんとやらないので、このマンガのギャグ要素を引き受けている、ディープなゲームネタはさっぱり分からんし、そこを楽しむ気もない。
ただ、ラブコメ要素の部分である2人のやり取りは、見てるこっちもこっ恥ずかしくなるような、初々しさがあり、そこから事☆後に至るまでの、恋愛の過程を(かなり妄想混じりとは言え)存分に楽しめる。
いや、そりゃこんな彼女ファンタジーに近い代物ではあるんだけどさ。ユニコーンレベルの。
制服、黒タイツ、目付き悪い、まではあるとして、ここまでヘタレな(同一化)な男(後半はちゃんと自分から迫るけど)に、毎回キスやらなにやらアプローチしてくるなんざ…。///
こんな彼女欲しいね!

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 漫画ブログ コミックス感想へ
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人を信頼する、ということ。『岳』

日々の生活に追われていたり、なんだかんだ言いつつ金を使いたくなかったりしていたので、購読本の新刊が結構溜まっていた。
レビューは徐々に更新していく(つもり)として、まず最初は「岳」の9巻から行こうかなと。
ここ何巻かはさほど劇的な展開もなく、「大人しくなっちゃったなあ」と感じていたが、この9巻収録の話くらいから当たりが続いている。
…あ、7巻と8巻のことも書いてなかった。
えーい。まとめてっ!




岳 7 (ビッグコミックス)

岳 7 (ビッグコミックス)

劇的ではないが、味わいのある話の並ぶ7巻。
レギュラーの新キャラとして、入隊2シーズン目の阿久津が登場。最初は救助訓練で怖気づくなど頼りないが、三歩のアドバイスを受けて、意中の彼女に特攻する辺り、度胸はあるらしい。


  • 第7歩 頑張れる時

救難要請を受けた三歩とザックが、遭難現場に急行する様子を丁寧に描いた回。遭難した側だけでなく、救助に向かう側も死と隣り合わせで山を駆けなければならない、ということが分かる。
結局7時間かけて現場に到着したときには、要請を受けた時点では天候不良で飛べなかったヘリが、天候の回復とともに遭難者を収容中で、2人の努力は空振りに終わってしまう。
いつもは救助のクライマックスを描く「岳」だが、珍しく救助の裏側というか、「努力は報われなかった、でも、救助は成功した」状況を、爽やかに描いている。
「救助者を助けたい」「救助者が無事でよかった」そんな思いがあるからこそ「頑張れる」のだ。


  • 第8歩 心の山

自己責任論がまかり通る昨今、山に登る人、遭難した人に対して「なぜ、そんな危険な場所に行くのか」という、残念な問いを発する人が、少なくないようだ。
三歩はアメリカで、自らが送り出したパーティーが、稜線で落雷に遭い、全滅する場面に遭遇する。
三つの遺体を担ぎ下ろした三歩が目にしたのは、ジェニーレイク。湖は「どこまでもおだやかに澄んでいて」「山は信じられない程美し」かった。
三歩は言う。危険な山に行くのは、「山が好きだから」でも、なんで山が好きなのかは「分からない」と。
ただ、美しさと残酷さを併せ持つ「山」、それに魅せられ、人は惹きつけられる。人が人を好きになるように。
自己責任を振りかざす人間は、街を捨て、山に向かってみるといい。










岳 8 (ビッグコミックス)

岳 8 (ビッグコミックス)

ある意味一番レヴューがしにくい巻だな…改めて読んでみると。
レギュラーメンバーである、県警の山岳救助隊リーダー・野田正人の、ともすればクールに見られがちなキャラクターの、意外に熱い一面を描く。










岳 9 (ビッグコミックス)

岳 9 (ビッグコミックス)

いや、もうなんと言っても3話連作の「牧の山と空」でしょう。
4巻で初めて登場し、ヘリの運送会社・昴エアーのパイロット(ナビゲーター)として、三歩や久美たち山岳救助隊とともに、遭難者の救助に当たった牧英紀。
だが、昴エアーは、赤字を積み上げる救難事業からの撤退を決定。牧は移動を勧められる。
登場時から「クール」を通り越して、「冷酷」とも思えるような判断をしてきた牧の過去、彼がなぜ「山」にこだわり続けるのかが明らかになる。
要救助者の移送を、牧に依頼する三歩。拒絶する牧に、三歩は食い下がる。

北アルプスの山と空を飛べるのは、牧さんしかいないっしょ!!」

三歩は、牧を信じている。そのヘリの技術と、山と、救助に賭ける思いを信じている。
牧の妻も、彼を信じている。夫として、また職業人としての牧を。
かつて、牧が山に連れて行った後輩も、牧を信頼していたのである。だから、彼と一緒に山に入った。
そして、もう一人。

「オレも同感です」
「島崎君と、同感です」

食い下がった三歩と同じように思うのは、牧が今現在命を預け、隣に座るパイロット・青木である。
ここが最高に熱い。主要登場人物に隠れて、あまり存在感のなかった青木が、牧を信頼するが故に、静かに彼の後押しをするのである。
このやり取りに、涙が流れてくる。




最後に、あまり魅力的な女性の出てこない(失礼)岳にあって、その役を一身に担うのが、阿久津の彼女のスズちゃんだが、これが良い娘過ぎる。
救助の呼び出しでスズとの約束を反故にしっ放しだった阿久津が、意を決して非番を貫くことに決める。スズを気遣わせまいとする阿久津だが、彼女は言い切る。

「トシ君は私の彼で山の救助の人。」
「私、分かってるつもりなんですけど…」

…なんだ、この出来た娘さんは。可愛過ぎるし、羨まし過ぎるんだが。
石塚先生には、このまま別れる、なんて展開ではなく、是非2人がゴールインするまでを描いて欲しい、と切に願う。
にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 漫画ブログ コミックス感想へ
にほんブログ村

東京五美術大学連合卒業・修了制作展 「それは芸術なのかやっつけなのか」

先日、文化庁メディア芸術祭に行ったつもりが、うっかり美大の卒展を見る」という体験をエントリとしてアップした。
当該エントリでは、会場で取った写真を乗っけただけだったが、今回はそれについて感じたことを書き留めておこう。




  • 「真っ当な卒業制作」

さて、卒業制作というからには、各学生が学生生活最後の一年(あるいはそれ以上)を費やして、自分が大学で学んだこと、究めたことの集大成が形となっているはずである。文系の大学生ならば卒業論文だし、理系なら卒業研究がこれにあたる。
卒業論文の思い出といえば…正直ろくなもんではない。
典型的なモラトリアムであったこの男は、学校に行っても、授業中に延々ゲームボーイアドバンススーパーロボット大戦Aをやっていたし、授業中に書きもしない小説のプロットを延々考えていたし、授業中に同じ教室の人とは一度もしゃべらなかったし…そもそも学部学科に友達が一人もいなかったし。
そんな風だったから、当然卒業論文の進行状況も捗々しくなかった。4年になってから所属するゼミには、授業以外に顔を出すことはなく、教授ともコミュニケーションが取れていなっかた。あげく、大して資料や先行研究が多くないテーマを選んで、見切り発車的な論文製作に突入することになった。
その後の道のりといえば、片道の燃料を積んで死地に赴いているようなもので、愚にも付かない内容で文字数を稼いで、なんとかC評価をもらいに行く有様だった。提出期限の日に、大学までの到着時間を逆算して自宅を出発したら、やはり焦っていたんだろうか、飛ばしていた自転車が、路地から出てきた車の側面に突っ込んで空を舞いかけるというおまけまで付いた。




…まぁ、俺の話はどうでもいい。
製作物の優劣は、少なくとも自分の理解の範疇であれば、読んである程度の出来の判定は可能である。
だが、こと話が「芸術」という部分に及ぶと、途端に判定が難しくなる。
これは五美大卒展で見た作品だが、床の通気口(?)の縁取りの部分に、出しかけのウンコのようなオブジェを並べた作品(?、でも、タイトルが付いてたから作品なんだろう)があって、
「…これ、やっつけじゃねーのかな…」
ふとそう考えた。ただ、いまいち自信がない。「これが芸術なんです」とシレッとした顔で言われてしまえば、そうなんかなと納得せざるをえない。かけた労力や、時間や、物質的なものが、制作物の評価と直結しないと思っているからだろう。
それにしたって、先日書いたうんこエントリでT-260Gに指摘されたように、自分の中に確固とした価値基準やら好き嫌いがあれば、惑わされない話なんだが。
自分の技術論がなかなか通じない物に対しては、「俺の評価は正当な評価なのか?」、あるいは「これどう評価すりゃいいの?」という不安が常に付きまとう。この場合の「正当」とは、むしろ「正しさ」より、それを評価した人々の平均値内に、自分の評価が収まっているか、くらいの意味だけど。
会場内には、いわゆる漫画的な絵画も展示されていた。その「漫画的な絵」に対して、少なくとも「漫画的」な部分に関しては自分が「いい」と感じる基準が通用する。ただ、「所謂漫画的な『絵』は『芸術』としては評価されない」という先入観もある。結果、「素でこれを描いてるならちょっと…だけど、分かってて描いてるならこれは「いい」(この場合の「いい」は「芸術性」的に)ものなのかも」という曖昧な結論になる。
要するに、あの数百に及ぶ作品群の中で、「ヤベー、時間ねー。もういいや!これで!」というものは、一体いくつあったんかなと。


  • 「何が芸術なのか」

チャロー・インディア展で感じたこととの対比になるが、例えば「椅子とオブジェ」があり、その椅子には案内員が座っている。その「作品に座る案内員を見ている観覧者」までが一つの「作品」として展示されていた。
「送り手」と「受け手」が明確に線引きされていない。「見ている自分さえも、作品を構成している」ということを意識させられた時、少し感動した。
自分が、その「芸術の一部」になっている。すなわち、自分自身も芸術として存在しているのである。そう考えたら、キャンパスの中で展開される「枠にはまった物」だけが芸術なのではなくて、なんにでも芸術性を見ることができる。ただ、こう言ってしまうと、最早もう何でもありである。まぁこの辺になると、もう言葉の定義とかの問題になってしまうが。
ただ、卒展を見たあとに、チャロー・インディア展を見ると、美大の枠にとらわれた「芸術」というものの収まりのよさに、なんだか歯がゆさを感じてしまうのである。
もっと独りよがりというか、「若さゆえの過ちでした。テヘッ☆」と言い切れるような勢いを出してもいいんじゃないか。
「熱い血燃やしてけよ!」


  • ご飯を食べられるということ

結局商業的な評価が芸術性に結び付かない、という話はままある。ゴッホだって、生前売れた絵はわずか一枚(ギャラリーフェイク知識)だったというし。
自分の好きなものだけ描いた結果、野垂れ死んでは何にもならない。自分が美大で培った何かを、何かしらお金になる仕事に生かさなくてはならない。…現実的なのは、デザイナーとかだろうか。
そもそも美大に入る人たちは、なにを目標にするんだろう。ただ、昔から絵が好きだったから?芸術家としての大成を望んで?
西原理恵子は、漫画の中では「芸術とかどうでもよくて、絵を描いてお金が稼げる」ようになるために美大に行っていたと描いている。自分で「美大の中では底辺」と自覚していた西原らしいエピソードではある。
誰に聞いたか、かなりうろ覚えでいい加減な話だが、ソニーのエンタメ部門に入社した人間は、三年くらいで独立しなければ、「才能がなかった」判断されるという。日芸出身のお笑い芸人も言っていた(気がする)が、「芸なんてのは教えられてどうにかなるものじゃないから、無事に卒業までいるようじゃダメ」だと。
…なんか、卒展に出品した人たちを全否定しているな。
12行前をもう一度読んでほしい。芸術家として飯が食えて、なおかつ大成して、歴史に名が残る、なんてのは頂点中の頂点の話。
多くの美大出身の人たちには、別におゲージュ性なんて大してなくてもいいから、自分たちが直感的に「Coooool!」と絶賛できるものをデザインする職につき、それを手頃なお値段でバンバン提供してもらいたいと思う。




本当にただ思ったことを、思ったままにぐちゃぐちゃと書き留めただけになってしまったなー。
特に反省はしていない。
オチなんかクソ食らえ。
にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他日記ブログ 20代 日々のできごとへ
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

戦極のことなんぞをつらつら、と。

今日は、戦極第七陣、フェザー級グランプリが開催されています@代々木第二。
会場には行かないで、PPVを視聴ちう。
普段は総合のエントリを書かない。今回は、ただ単にモバイルできるパソコンで、こういう使い方がしてみたかった、と言うことの実証にしようかな、と。
実況は、lutalivreさんの(idコールすいません)2009-03-20がとても分かりやすいので、そちらをご参照あれ。
でも、展開の速度と、こっちのタイピング速度が違いすぎて追いつかないw


  • ×川原vsデニス○

すっとろいハイだと思ったが、デニスはきれいにテンプルにhitさせていた。川原はリーチ差もあって自分の距離で戦えていなかった印象。
デニスはマイクで笑ったり泣いたりと忙しい。

  • ×山田vsロニー・牛若○

18歳対21歳のヤング(死語)対決。山田は一月で13kgの減量だったらしいが、調整とか大丈夫なんだろか。山田はいいポジション、タイミングのいい打撃もあるが、体幹や技術の差で決めるまでには至らない。ロニーも、山田のガードの前に自分の闘いができてなかった。


  • ×石渡vsチャンソン○

激しい打撃戦。お互いの打撃がヒットし合う一進一退の攻防…に見えたが、チャンソンは試合後のマイクで「もっと強い相手を用意してください」と。そんなでかい口が利けるほど、圧勝ではなかった気がするけど…。
最後は背後からのチョークでジョンマンが一本。石渡は、もっとローをリードにすれば良かったような。



  • ○金原vsジョンマン×

コンビに鋭いローを走らせる金原。打ち合いからダウンを奪う。「待ちになってるのが良くない」と郷野。金原は押し込まれるとそのままやられそうで怖い。自分から行った方が…と思ったら、「フックを合わせられるのを警戒してるのかも」とまた郷野。なるほど。
だいぶジョンマンのパンチを警戒していた金原。全体的に自分のリズムを作って打ち勝ててたとも思うが、本人は「勝ちにいってしまった」とマイク。(解説は北岡だったかも)



  • この辺から夕食タイムになったので割愛。
  • ×門脇vsナム・ファン○

どうも、名前が「ナム」という格闘家だと、天空×(ペケ)字拳のあの人を想像してしまう。
パンチを放り込みつつ距離を詰めるナム。門脇は煽りだと「寝技仙人」と紹介されていたが、引き込みやタックルもなく、距離をとって打ち合う。
意外だなー、と思って観戦していると、下がり際に右フックを合わせられて門脇が崩れ落ちる。TKO負け。
門脇が相手の戦いに付き合い過ぎた。




  • ○日沖vsマニュエル×

日沖がテイクダウンから何もさせずに、十字で一本を奪い、圧勝。



打撃で勝負したい川村だが、モーはタックルを決めまくって試合をさせない。テイクダウンされてからは何もできず、ロープ際に逃げて耐えるしかない川村。同じような展開が3Rとも続き、川村に何もさせなかったモーの圧勝…。





なんだか今ひとつの興行だったな…。
だが、一応当初の「想定していたモバイルツールの使用法」が試せて良かった。途中からは飽きてきて、食事メインの観戦に切り替えたけど。実況は格闘技徒然草さんの方が詳しくて早いし、技術的な見方もだね…。
あとはエントリの最初の方で書いたが、総合は把握してなきゃならない技術が多過ぎて、今の知識量ではどうにも書くことが少ないし薄くなってしまう。(じゃー、たまにやってるK-1MAXのレビューとかは濃いのか?と言われれば、濃くないです)

ブログ論

それっぽいタイトルを付けてみたが、論理的な思考を展開したいわけでもない。
友人のid:T-260Gのエントリ、そうだ、まずはパンツをはこう。において、コメントしようとも思ったが、どうせなら対応したエントリとして書いた方が、こっちのエントリ数も増えるし、というわけで、野郎の製作物を拝借しつつ思ってることを書き留めておく。





野郎が「同年代のブログを参考にして作成した文章」がある。
そこでつかんだらしい共通点は、

基本的に、一文は短くする。
改行は頻繁に行う。
余計な情報は入れずに、出来事とその感想だけを簡潔に書く。
たまに顔文字を使って、文章に表情を付ける。d(*⌒?⌒*)b ニコ

こりゃ全くの私見ではあるが、同年代やそれより下の年代にとってのブログは、一つはメール文化の延長線上であり、もう一つは実際のコミュニケーションが基盤になっているからだと思っている。
つまり、ケータイでのメールは、インターフェース上の問題もあるが、一文は短いし、改行も多い。ケータイで見るには、その方が読みやすいからだが、PCを使ったときもその習慣みたいなものが変わらない。もしくは、ケータイでのブログ更新が主だ、という人が多いのかもしれない。



それより重要なのが後者の方で、そういう層は「ブログ」というものをコミュニケーションのサブツールとして認識し、利用しているのではないかな、と。
情報や意見の伝達、交換、共有は対面で行って、ブログはいわゆる「話のネタ」を自分の属しているコミュニティに周知させるための切っ掛けとして使っているだけ、というか。

例えば、「欧州サッカーリーグが大好きだ」と自称している人が、その天王山となる一戦を見たときの感想として、「○○(選手名)が凄かった」としか書いていなかったら、「お前、本当にサッカー好きなのかよ?」と思ってしまうだろう。

これが例えば「○○の股間の盛り上がり具合が凄かった」とか、「○○のバイシクルシュート時の開脚具合が堪らなかった」とか、嗜好がいくらか追記されていれば、「ああ、なるほど、そういうコトね」と、読んでいるこちらも納得できるのだが、ただ「○○が凄かった」というだけだと、「しらんがな」としか言い様がない。

その人と縁も所縁もない赤の他人が読めば、こんな反応が至極当然なのだろうが、彼らにとっては多分これで十分なのである。
コミュニティの人たちは、彼が既に欧州サッカーリーグが大好きなことを知っており、天王山の一戦を見たことブログで知る。これだけである。あとは、実際会った時、存分に話せばいいのだ。
「○○の股間の盛り上がり具合が凄かった」とか、「○○のバイシクルシュート時の開脚具合が堪らなかった」とかいうことを。
一々これをブログに書くのは、異なるコミュニティに属する人に同時発信するためであり、たまたま検索やらキーワードをたどってきた人間がコメントを残すかもしれないが、それに関する期待は書く側にもほとんどないはずだ。
自由時間は自宅警備に励んでいるような向きには、そもそも自分のことを知る内輪の絶対数が少ないから、より大多数の見知らぬ誰かを意識しなければならず、必然的に物事の概要から何から説明して、構成も行わなければならない…。でないと、引用部のように『「しらんがな」としか言い様がない。』受け取られ方しかされなくなってしまう。
や、書くにあたっては、きちんと「こう伝えたい」or「こう伝えなきゃ」と自然にできる人ももちろんいるんだろうが。
要は誰に向かって書かれているか、という問題で、そもそも赤の他人の思いなんかは、彼らにとっては関係ないんじゃないかな。「読まれる文章」を意識してないとでも言おうか。
例を挙げると、今の学校の人たちが結構な数属しているので、某SNSにも参加してたまに日記を書いているが、正直ここで書いているのと同じ調子で文章を構成すると非常に受けが良くない。まあこれは、自分自身の文章力や面白さがないから、といえばそれまでだが…。







一応上記二つは、「書き手の意識の問題である」という視点によって書いてみたが、これ以外にも「根本的に構文ができない人が増えてるんじゃないか」という考えもある。
自分自身も物書きを目指していた時期があったが、まあ実際書いてみれば、ブログだって4年は続けているのにこの程度だ。文章力的にも、ネタ的にも。
まとめてみると、id:T-260Gにはこれからも意識して面白いものを書き続けて欲しいし、俺もできる限りがんばりたいし、世のブロガーの皆さんも面白いものを書いて欲しいし、とこれに尽きる。
なぜなら、俺が楽しめるから、な。
にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他日記ブログ 20代 日々のできごとへ
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

あともう一つ。

マウスが付属していないので、これも別に用意しなければならない。
これに関しては、取り回しが面倒なので、ワイヤレスであることが絶対条件。接続方式に関しては、USBかBluetoothかでかなり迷ったが、Bluetooth方式は、収集した情報内でだと感度が悪いとか、耐久性に難有りとかいう話だったので、素直にUSB方式を選ぶ。
メーカー別に情報が多かったのは、LogicoolMicrosoft。ただ、これも実際店頭で触った感覚で、シグマの↓のマウスに。

シグマAPO 5ボタン1チルトホイール2.4RF ONYXレーザーマウス Mヴァイオレット SLATMRF01VL

シグマAPO 5ボタン1チルトホイール2.4RF ONYXレーザーマウス Mヴァイオレット SLATMRF01VL

色がいやらしいな、と感じないでもなかったが、材質の質感ととても合っている気がしたので、色は紫に。USBの受信機がとても小さいのも決め手だった。